柄谷行人「場所についての三章 3. イエスの場所」

これからの、さまざまな批評においても、当然のように、宗教に関する認識が多くの場面で検討されることになることは事の必定であろう。
ただ、そういった場合に、その人がどのような「宗教」を頭にイメージするのかは、非常にクリティカルである。宗教という場合、その人にとってどのような環境の中で宗教と隣合って生きてきたのか、そういった問題としてあるのであって、
とても距離を置いて見れないんですね。

もし本当に一目も二目も置くなら、とことんまでつき合って一目や二目どころか、本気になって相手にしてみたらどうなるか一度考えてごらんなさいよ、と。いまの世の中でキリスト教を本当にくそ真面目に信じる場所をつくろうとすると教会になっちゃうので、しかしそこまでいくと、ある種の馬鹿らしさ、気恥ずかしさで見ちているわけでしょう。そこをつきつめてみないで、キリスト教に一目も二目も置いてみたところで、どうもしようがないんじゃないかな、という感じがあるんです。

田川建三「<イエス>を書くということ」1980年

田川建三さんが言うように、キリスト教に「文学的にあこがれる」文学者が後をたたないとして、もし彼らが、現代において、本気で「キリスト教をやる」ということがどういうことなのか。しかし、田川さんの論文にはどこもかしこも、自らが幼少の頃から関わってきた実際の教会との、「アンビバレント」な感情に満ちていますね。逆に言うなら、こういったさまざまな「個別的な全体性」を考慮することなしに、一言で「宗教」と言うことは難しいということです。
また、マルクスが言うような意味での、現代社会そのものが、むしろ、宗教的な「構造」や「意匠」をもっているというような認識。私たちの世界把握や、そもそも「貨幣」というものの構造の宗教との類似性などもスコープに含めようとすると、なかなか、間口の広い、やっかいな問題という印象を与えられます。
そういった中で、ことキリスト教ということで、私にとって、圧倒的な印象を残した記述(つまり自分の中のイメージ)こそ、以下の、柄谷さんの、田川建三さんのある本(

イエスという男 第二版 増補改訂

イエスという男 第二版 増補改訂

)の批評の個所であったと思います。

たとえば、「汝心をつくし、生命をつくし、思いをつくし、力をつくして主たる汝の紙を愛すべし。また、おのれの如く汝の隣人を愛せよ」というせりふは、イエスの教えの根本であるかのようにいわれているが、イエスの言葉ではない。実際聖書のなかで、論敵である一人の律法学者がいったものなのである。また、それが律法のなかの核心だということは、イエスに先立ってある常識にすぎなかった。「ある時一人の律法学者がイエスのもとに来てたずねて言った、「律法の中で、最も重要な戒めはどれか」」(ルカ伝)。
律法学者がイエスにこうたずねたのは、お前のように律法批判を激しく展開する男ならば、当然それなりの考えがあるだろうという嫌味な問いなのだ、と田川建三はいう。イエスはこの問いに答えず、「そんなことはあなたがよく知っているじゃないですか」という。そこで、律法学者が神への愛と隣人への愛がそうだと答えるのである。つまり、これはキリスト教の根本精神であるどころか、ユダヤ教信仰の常識でしかない。
エスがそれに対していうのは、田川建三流に翻訳すればつぎのようなことである。「いいじゃないですか。あなたみたいによく知っている人が何も私に質問なさることはありませんよ。それで本気になってやってみてくれたらどうなんですか」。
彼はけっしてまともには答えていない。相手と対立て、新しい教義を唱えているわけでもない。そのような迂回によって、相手の「問い」の構えそのものをぶちこわしている。いいかえると、イエスの言説はけっしてポジティヴなものとして見いだすことはできない。

田川さんは自らそのようなイエスのあり方を「逆説的反抗」と定義したそうですが、こういったふうに整理されたとき、私たちは、さまざまな「既知感(デジャヴ)」に襲われる。一番分かりすいのは、ギリシアソクラテス弁証法であるが、そんなものにとどまらない。似たような形式は、ブッダ孔子にも存在するだろう。
こういった認識は、現代でも、キリスト教とはなにか、仏教とはなにか、はたまた、マルクス主義とはなにか、といったような、近代知のデカルト的「分割」知の限界を示唆しているようにも思える。しかし、当時、その時代に生きた一人の人間がどのような「ふるまい」をしていたと考えるべきか、と考察してくると、むしろ、こういった形以外に考えられないとも言えるわけなんですよね。むしろ、その時代を生きた「一人の」人間、イエス、がどのように考え振る舞っていたのか。ですからこれは、身も蓋もなく、唯物論的な認識であり、私たちのナルシシズム的な超越幻想(感情移入)に対する峻拒を、示唆しているように思われるわけです。
世界宗教がちょうど、土着宗教の「宗教批判」としてしか、ありえなかったこと。それが柄谷さんの世界宗教論でしたね。)
ちょうど、柄谷さんがポストモダンがどうのこうのと言われるようになった頃の論文であり、上記の引用の個所は、その後のウィトゲンシュタイン論や世界宗教論につながる、橋頭堡になるんじゃないですかね。

差異としての場所 (講談社学術文庫)

差異としての場所 (講談社学術文庫)