「TARI TARI」だったり

小熊さんの『社会を変えるには』は、非常に大衆運動に「肯定的」なことが、特徴じゃないか、というふうに読んだ。
しかし、逆に言うと、なぜ、そこまで、人々の政治参加や、大衆運動やデモを、「無条件」に肯定できるのかは、少しも自明ではないように思える。
それは、例えば、アニメ「TARI TARI」で主人公の和奏(わかな)が、

  • どうやって歌を作ればいいのか

に悩むことに似ていなくもない。

和奏 お母さんって、どうやって歌作ってたんだろう?
和奏 もともとメロディが頭の中で生まれるの? 考えながら作るの? 自然と思い浮んだメロディを繋ぎ合わせるだけなら、そりゃネコでもできるかもだけど、それでいいの? そんなわけないよね?
(アニメ「TARI TARI」第8話)

和奏 お母さん、どんなふうにどんなこと考えながら歌作ってたのかなって、怖くなかったのかって。
和奏 なんて言うか、できるんだろうかとか、できたところで大丈夫なんだろうかとか。
(アニメ「TARI TARI」第8話)

よく考えてみると、このことは、とても大事なことを示唆しているようにも思える。人はなぜ、歌を作り始めるのか。そして、どうして、それを作った人はそれが「歌」としてあるということに、疑問をもっていないのか。
しかし、これは「歌」だけに関係することではない。なんにおいても、それが「どうしてそれでいいのか」とか「なぜそれをやることを当然と思えるのか」とかいったことは、結局のところ、あまり、説得的な話ではない、と思えるわけです。
上記における「作曲」にしても、別に、だれもがそれをやるわけでもないが、かといって、なぜ「ある人」は「作曲」を始めようとするのか、もあまり理由の分からないことだし、なぜ「それを作っている人」が、その自分が作ったものを「作品だと思えるのか」も、理由の分からないことではある。
そんなことを考えていると、そもそも小熊さん自身が、あとがき、で以下のようなことを言っていることが、とても重要な感じに思えたわけです。

二〇〇九年の夏に大きな著作を書きあげたあと、その年の九月に意識不明になって入院し、以後一年ほど療養生活をしていました。医者に全快を告げられたのは二〇一一年四月でした。

社会を変えるには (講談社現代新書)

社会を変えるには (講談社現代新書)

つまり、小熊さん自身が決定的に「死」の側から考えるとは、どういうことなのかを意識されてきた、ことを意味しているわけですよね。
むしろ、社会を動かすことは、その人の「若さ」「健康」を意味し、その社会が内在する「アクティビティ」を徹底して肯定する、ということなのではないだろうか。
つまり、「そういうパワーがある」ということなのだから、それを無条件で肯定して「いい」という結論になる、ということですね。
例えば、私たちはこうやって年齢を重ねるごとに、同級生の中にも、多く親が亡くなった人も、少なくなくなる。そうした場合、その人にとって、親の「喪失」は、大きな認識への影響を与えます。
私たちは、いずれにしろ、いつか死にます。それは、避けえない事実です。しかし、そのことと、日々私たちが悩んでいることは、よく考えてみると、うまく両立しません。多くの人たちが、親が亡くなった後に、もっと、親孝行しておけばよかった、と思うのは、そういうことです。
そもそも、

  • 日常

は少しも自明ではありません。明日、突然、身内が不慮の事故で亡くなるかもしません。そしてそれは、どんなに後から後悔しても、元には戻らないわけです。
アニメ「TARI TARI」の特徴は、第一話の最初から、主人公の和奏(わかな)の母親は、すでにこの世にいない、というところにあります。
彼女は和奏(わかな)の高校受験が終わったと一緒に、病気により亡くなる。確かにそうなのだが、ある意味、このアニメで最も長く印象的な場面で描かれているのは、和奏の母である。つまり、

  • フラッシュバック

として。
主人公の和奏に出会う、彼女の母と旧知の人たちは、そんな彼女の姿に、ことごとく、彼女の母親を「見る」。なぜなら、彼女を知る多くの人たちには、彼女の母親が、

  • 非常に「重要」な「なにか」

を表象していたことを、知っているから、である。つまり、彼女の母親は、彼らにとって、並ぶもののない

  • 特別

な存在だった、わけである。校長先生から、教頭先生、コンドルクイーンの3人の老人...。みんな、いかに、彼女の「存在」が、彼らにとっての「音楽」にとって、「音楽」にとりくむ姿勢にとって、欠かすことができないほどに、大きかったのか、を嫌というほど、自覚しているからこそ、彼らは、和奏(わかな)の、その先に、和奏(わかな)の母親を見ずには、いられない。
そして、和奏(わかな)の物語のターニングポイントになるのが、第5話、第6話である。
和奏(わかな)が生まれてからは、和奏(わかな)と一緒に音楽を生きてきた和奏(わかな)の母親は、和奏(わかな)に音楽は楽しんでやるものであることを、小さい頃から、自らの態度で、教えてきた。しかし、音楽系の高校受験を控えて、和奏(わかな)は、そんな母親の態度が不真面目に思える。
思春期でもあるのだろう。彼女は、その頃、常に母親に、くってかかり、母親をののしり、母親の行動が、彼女の受験のための日々の行動の「邪魔」にしか思えなくなり、母親に向かって、心ない言葉を重ね続ける毎日を送り続ける。しかし、受験の合格と共に、急に、母親が危篤となり、帰らぬ人となる。
和奏(わかな)には、なぜ、母親が自分にその病気がターミナルケアだったことを、教えてくれなかったのかが理解できない。母親への不信感がぬぐえないまま、彼女は、このまま、音楽の勉強を続ける意味を感じられなくなり、音楽科から普通科へ、転入する。
そんな音楽と離れた生活をしていた毎日に、どうせもう音楽はやらないのだから、と、部屋にあった音楽関係のものや、母親からの譲りものの、ピアノも捨てるように、父親に依頼する。
そうして、部屋がガラガラの、なにもなくなった、ある日、父親に、どうして母親が自分に病気のことを言ってくれなかったのか、と質問する。
父親は彼女に、母親が彼女のために黙っていたこと、彼女との約束の歌を作ることを最後まで「楽しい」思いでやってもらいたかったから(楽しい音楽を一緒に作りたかったから)、父親に病気のことを彼女に言うことを禁止していたことを知り、実は、母が彼女を本気で愛していたことを、理解する。
彼女は一人、真っ暗な部屋にこもり、震え、むせびながら、涙を流して、後悔する。自分が母親に、こんなにも愛されていたのに、音楽をやめようとしてしまったこと、部屋にあった、母親との思い出の音楽関係のものを、捨ててしまったことを。
すると、父親が母親が作りかけていた、楽譜をもって、和奏(わかな)の部屋に入ってきて、彼女に渡す。和奏(わかな)に、これを最後まで、完成させてほしい、と。父は彼女に、ビアノなどの捨てようとしたものを捨てていないし、すぐに元に戻すことを彼女に知らせる(ビアノは父にとっての母の思い出でもあるのだから、捨てるわけがない、わけだ)。
ここで、重要なのが、父親の一貫した態度であろう。彼は、最後まで、彼女の母親の「意志」を尊重し、そして、和奏(わかな)が、この事実を受け入れられると判断したところで、彼女に自分の願いを伝える。
つまり、父親は一貫して、自分から、この「関係」を強引に、自分のやってほしい方向にまげようとしない。それは、彼が彼女の母親を愛していたから、と考えられるだろう。だから、彼女の母親の「意志」を「尊重」したのだ。
そして、その態度は、彼女の母親が死んだ後の、彼女への態度でも変わらない。彼女の母親が死んだ直後は、まだ彼女の精神状態が不安定であったわけで、とにかく、時間を置くことで、彼女が自然に回復していき、自分から母親の態度の理由を聞いてくるまでは、ずっと口を閉ざしている戦略を一貫して行う。
もちろん、人によっては、それで短かい高校生活を無駄にしたんじゃないのか、と思うかもしれない。しかし、そうだろうか。もし彼女が勉強をしたいなら、いくらでも将来、勉強することはできる。むしろ重要なことは、彼女自身が、たとえ時間がかかっても、自らの力、自らのボランタリーな力によって、自分が目の前の道を切り開いていこうと思うようになるのか、ということである。
合唱部に名前だけ貸していた彼女は、母親の高校時代のこの学校の合唱部で彼女が作った歌を合唱部で歌っているカセットテープを再生することで、あれほど、歌を歌うことを拒否していた彼女が、自然と、大声で歌い始める。
すると、クラスの外で、彼女が歌っている姿を見かけた、同じ合唱部のメンバーは、自然と、彼女の回りに集まり、一緒に歌い始める。

この物語は、和奏(わかな)が、母の死に直面してから、少しずつ、社会性を回復していく物語だと言えるだろう。そして、それは、親子鷹の物語でもある。和奏(わかな)は、今、母の「意志」を、継ぐことを「当然」と思い、母が作りかけた作品を完成させようとする。
しかし、それを「当然」と思うということとは、どういうことを意味するのか。それこそ、上記で私が提示した「アポリア」そのもの、であることが分かるだろう。
なぜ、彼女は母の意志を継ぎたいと思うのか。しかし、少なくとも、言えることは、彼女以外の人は、「そのような」思考の筋道を辿って、歌を作ることを自然だとは、思わない、ということである。
和奏(わかな)が、母親を許していく過程について、この作品は実に、丁寧に描いている。それは、つまりは彼女の内面に「相対化」が、少しずつ生まれていく過程でもある。
来夏(こなつ)が、合唱部をやろうとしている姿は、そもそも、彼女の母親が、この学校で、合唱部を、ひっぱっていた姿に重なる(歴史は繰り返される)だろうし、部員もみんなが、それぞれに個人的な事情に悩みながらも、それを乗り越えようとしている姿が描かれることも、
和奏(わかな)の個人的な苦しみ
の彼女にとっての相対化を強める。担任の産まれたばかりの子供を抱く場面や、紗羽(さわ)の馬に乗せてもらう場面なども、さまざまな生きとし生けるものたちの、支えあって存在する形によって、自らの個人的に受けとり悩んでいる「セカイ」を相対化する。

和奏(わかな)が、母親を受け入れていく過程は、

  • 和奏(わかな)にとっての回りの人々

が、今こうあるように、母親にとっても、回りの人々と「同じように」、そういった人間関係を作り、育んでいたこととの「相似」として把握される。
和奏(わかな)は、母親の遺作を完成させるために、母親がどういった人であったのかを知ろうとし始める。つまり、母親は生きている、そういった今も生きる、彼女と同世代を生き、関わってきた人たちの中に。
和奏(わかな)が、母親を知ろうとするということは、彼女が母親が回りの人々に与え続けた関わりを、理解し、引き継ぐ、今彼女が生きて関わっている人たちとの間に、再現しようとしている、とも言えるだろう。それが、

  • 引き継ぐ

ということなのだから。
つまり、最初の議論に戻るなら、人々は多くの場合、確固とした客観的な根拠がないものであっても、行動を始めている、ということであり、そしてそういった

  • 無根拠な行動

は、「個人的な体験」の延長で、本人にとっては、それを「問う」こと自体が自明に不要であるほどに、意味を感じられているわけで、つまりは、そういった種類の「動機」を「肯定」できる思考の地平もあるんじゃないか、ということになるだろうか...。