一ノ瀬正樹『人格知識論の生成』

(まだ、前半しか読んでいないが、まとめておく。)
ジョン・ロックは、タブラ・ラサと言って、人間は誰でも白紙のキャンバスで産まれてくるのであって、親の七光りだとか、産後のひだちだとか、そういった「生得的」なものを批判するわけで、つまり、あらゆることは、

  • 経験

だと言っていることになる。しかし、このことをライプニッツは、以下の本で、批判というか「嘲笑」する。

人間知性新論

人間知性新論

そんなわけないだろ、と。事実、論理や数学的形式といったものの「普遍性」は自明ではないか、と。つまり、経験とは別に、普遍的な法則のようなものが存在すると言うことには、一定の妥当性があるんだ、と。
こういうふうに言うと、多くの人は、ライプニッツの主張が正しく、ロックは間違っていた、と思うであろう。事実、歴史的順序として、ロックの『人間知性論』の後に、ライプニッツの『人間知性新論』があるわけで、後から批判している方が、正しいのであろう、と思うのではないか。事実、哲学史的な解釈としては、

という「物語」になるわけである。つまり、そうやって哲学は「進歩」しなければならない、というわけだ。
しかし、以下の本の著者は、そういった解釈は一面的であることを主張する。

ロックは、知識とはそもそも人に宿る人格的なものであり、したがってまさしくそれは「行為」であり実践であると捉えていた。つまりは、知識はそのまま社会的営みであり、知識を持つ者のみが理性人として社会に参入できる、と考えていたのである。その場合、現に知識を得ようとする実践があるかどうかこそが、真の問題である。不可能でないからといって、たとえば潜在的な知識を認めてしまったら、社会は形成されず、そもそも知識成立の基盤が失われるという自己破滅に至らざるをえに。したがってロックは、生得説は不可能であると、積極的に断じなければならなかったのである。
このように理解されるロックの議論の根底には、二つの重大な着想が横たわっている。第一は、知識を獲得する主体は社会のなかで自らの責任を担える「人格」である、という着想である。こうした捉え方は自然法の「知識」に関してはほぼ明らかに当てはまるだろうが、それ以外の知識の場合でも同様に妥当する。そうした普遍的妥当性はまず、知識は、究極的にはそれを獲得する者が全面的責任をもってなす、一種の跳躍としての同意・決定によって確立される、というすでに述べた論点によって確立されよう。序章でも触れたように、知識を獲得するということがそれを獲得した者の責任に結びつく、という構造は実際に出現しうるし、現に生じなくとも、知識獲得の原理的構造として確かに存立しているのである。さらには、それだけでなく、知識獲得のための努力探究や同意決定の行為は、実は何らかの言語体系や理論体系、そしてそれらを伝える教育制度との連動においてはじめて可能となる、という論定によっても、知識を得るのは社会のなかに生きる「人格」であるという着想を普遍的に根拠づけることができよう。後者の論点は、何らかの言語や理論なしに知識を形成することは全く不可能であることを考えるとき、事柄として明らかであろう。そしてロック自身もまた、すでに見たように、『自然法論』第三論文で知識の印銘説を批判する文脈において、矛盾律などの思弁的原理についての知識形式の一つの手がかりが他者らの教授にあるとしていたとき(LN 144)、知識獲得と教育との本来的連関に触れていたと考えられる。また、ロックが「知識は命題にかかわる」(3.1.6)と述べ、さらに自他の間で交わされる言語の日常的用法は制限されていて、その制限に従わなあければ適切な語りとは言えない(3.2.8)とするときにも、知識というものが社会的な交流に支えられており、したがって、知識はそうした交流の主体たる「人格」にこそ宿る、という論点が浮上していたはずである。もっも、知識獲得の最終の根拠は獲得する者自身の知識そのものへの「同意」にあることはロックが繰り返し強調することであり、したがって、社会的・制度的背景は知識獲得のための必要条件という身分でのみ、しかし必要条件という仕方によって本来的に、知識の確立に連動していくこと、このことは押さえておかなければならない。

ようするに、ライプニッツの批判は、どこかピントがずれている、ということである。ライプニッツという人は、かなり謎な人で、どちらかというと、数学者とか、科学者といったカテゴリーに入れた方がいい人のようにも思われるのだが、つまり、ライプニッツは、どこか、ロックの

  • 問題関心

を避けて、自分の数学的関心に引き寄せて、自分の主張(持論)をしているように思われるわけである。そして、ここには、いわば、「プレ・カント」の哲学、つまり、カント以前の哲学の「原始」性の問題があるのではないか、と私には思われる。
よく知られているように、カントは、自らの哲学を「ライプニッツを前提」に、始めた(ライプニッツ、ヴォルフのフレーム)。つまり、ライプニッツの主張を前提にするところから、三批判書の最初の純粋理性批判を始める。そういう意味では、カントの言う「アプリオリ」とは、ライプニッツの言う「普遍的」なものを指していると考えていいのかもしれない。ところが、カントの批判書は、後半に行けば行くほど、より

  • 実践的

なものに主題が移っていく。ということは、どういうことか。つまり、カントは、ライプニッツの主張を前提にした所から、むしろ、再度、ロックの主張の「正当化」を目指したのではないだろうか。
私たちは、カント以降、哲学とは「カント」のことだと考える。つまり、カントのような「スタイル」だから、哲学と考える。そのような視点からは、むしろ、ライプニッツこそ、ザ・哲学というふうに、感じられる。そういった視点からみると、そもそも、ロックが何をしているのか分からない。こんなものが哲学のはずがない、と考えたくなるわけである。
しかし、それは遠近法的倒錯にすぎない。むしろ、ライプニッツやカントはロックを「前提」に考えたのである。
上記の引用にもあるように、ロックはそもそも、カントで言うところの「実践」しか考えていない。そもそも、それ以外のなにかを仮定することを拒否しているわけである。
しかし、このことを、前近代の「トンデモ」だと言えるであろうか。なぜ、ロックは「実践」しか認めないのか。そして、なぜ、カントの三批判書は、後半に行けば行くほど、ロックのスタイルに近くなるのか。
大事なことは、ロックの一見、前近代のスタイルに見える哲学が、全体として、

  • 何を言いたいのか

を、彼のテキストに閉じた中で、明瞭にさせることなのであろう。
私はこういう意味で、ロックの『統治二論』の第一章を重要視する。ここで、ロックは王権神授説と「対決」するのだが、その理論的根拠として、ロック自身が主張する「人間知性論」が関係するわけである。つまり、彼にとっての、王権神授説批判と「人間知性論」はきってもきれない関係にあるわけである。
哲学とは、アリストテレスのことだと考えていい。そういう意味で、哲学とは、

のことであり続けたのではないか、という疑いがある。よく知られているように、アリストテレスは、奴隷制を肯定した。その彼の政治学的な主張の根拠に、彼自身の哲学の主張があったに違いない。

しかしでは、ライプニッツの『新論』における論究は、ついにロックの議論の核心には届かず、それと並び立つ次元にまで達することはなかった、と言うべきなのだろうか。この点については、そう性急に断ずべきではない。というのも、ライプニッツには、第一章で検討した形式説と潜在説以外に、もう一つ「性向」説と称すべき思索の方向があり、むしろそこにライプニッツ生得説の真髄が開示されているのではないかと考えられるからである。ライプニッツは、形式説や潜在説を述べた後、それは単に能力を持っているということにすぎないではないか、とい想定反論を示したうえで、次のように語った。

使用せずにある事物を持っていることは、単にそれを獲得する能力を持っていることと同じなのだろうか。もしそうであるなら、われわれは現に享受している事物しか決して持たない、ということになろう。けれども、能力と対象以外に、能力が対象に働きかけるためには、しばしば何らかの性向(disposition)が、能力や対象のうちに、そしてこれら両者のうちになければならない、ということが知られている。([41]64)

ここでライプニッツは、思惟の根源に思惟が成立するための何らかの「性向」があることが承認される、よって「性向」は生得的である、と主張しようとしている。これが性向説である。ここで注意すべきことは、ライプニッツが能力とも対象とも別個な契機として「性向」の概念を導入している、という点である。まず、「性向」が、対象以外の、対象とは別個な契機である点から、性向説の独立性が明らかとなる。というのも、さきに触れた形式説や潜在説が、あくまで表象や対象としての生得概念の存在を主張するものである以上、対象以外のものの生得性を主張する性向説は、形式説や潜在説とはひとまずはっきり異なる主張であるはずだからである(cf. [34] 173-74)。さらに、「性向」が能力とも別個な契機であるとされている点は、ライプニッツの性向説の独自性を顕わにすると言えよう。そもそも「性向」の概念は一般にアリストテレスの「可能態」の概念にその源を持つとされるもので(][29] 200-30)、基本的には「能力」という概念とほぼ重なるものであった。けれども、ライプニッツはここで「性向」を能力とは別個なものとしているのである。してみれば、ライプニッツのいう「性向」は可能的なものではなく現実的なものなのであろうか。

アリストテレスが言っていることは、進化論の文脈で言うなら、まさに、ラマルク的な進化論だと言えるだろう。私たちには、なんらかの「能力」が、産まれながらにしてある。
私たちが「成長」するというのは、その「能力」が、可能態から「現実態」に推移していくことになるのだ、と。このように考えたとき、なぜアリストテレスが、奴隷を肯定したのかが分かるであろう。つまり、可能態の時点で、ある一部の人間は、

  • 奴隷になるために生まれてきた

と。それが彼らの「可能態」なのだ、と。この関係は、ナチスにおけるヒトラーを始めとした、ナチ党員たちが、ユダヤ人を差別するときの「正当化」の理屈になるわけである。
しかし、私はこれと同じことは、例えば、日本の明治以降の「エリート教育」においても反復されていたのではないか、と考えている。
彼らが傾倒した大正生命主義は、ようするに、ニーチェ的なエリートがエリートとして「特権的」な扱いをされなければならないと考える「理屈」が必要とされたわけである。
この問題はどこか、中世の普遍論争にも似ているが、上記の引用箇所において、掲題の著者は、この問題に対するライプニッツ

  • 微妙な差異

に注目する。
というのは、ここでライプニッツは、「なぜか」能力と対象とは、

  • まったく別のもの

として「性向」という「不思議」な概念を導入するからである。普通に考えたら、じゃあ「性向」は能力と対象の「どちらなのか」という疑問になるであろう。ところが、ライプニッツは、なぜかそれをどちらなのかと説明せず、まるで「どっちでもない」ものであるかのようにして、この概念を導入する。
ある意味、こういった「作法」は見慣れていると言えるかもしれない。というのは、こういった説明の方法を特に、よく使った人こそ、カントだったんじゃないか、とも思われるからである。
さて、ここでライプニッツが言う「性向」とはなんなのか? もちろん、その答はよく分からないが、少なくとも言えるのは、ライプニッツはこれを(アリストテレスが奴隷を正当化するのに使う)「能力」では「ない」と行っていることである。ということは、少なくとも、なんらかの

  • 現実的

なものであることが示唆されているわけである。つまり、この箇所に限ってライプニッツの主張を考えるなら、むしろ、ライプニッツは限りなく、ロックに近くなっている。というか、ロックに同意しているわけである。
たとえば、各人間には、ある遺伝子の差異があるとする。しかし、その差異が、「人間の成長にどんな影響を与える」のかは「確定的」な現象であろうか? 非常に揺れ幅が広いのではないのか? だとするなら、そういうものを「能力」と呼ぶことには、大きなミスリーディングがあるのではないか。
つまり「事物」としての差異が、結果として何をもたらすのかを、そんなに簡単には言えないわけである。つまりこれが、「確率論」の意味なわけであろう。
しかし、そうだとしても、今後の分子遺伝学の発展によって、多くのことが言えるようになるのかもしれない。そうすると、またまた、アリストテレスが復活して、自称哲学者たちが、世界の真実とか称して、エリートの需要に答える、差別を正当化する理屈を考え始めるのであろう orz。
エリートはいつも自分が「優秀」である理由を考えたがる。それだけですめばかわいいものだが、彼らはそこからさらに進んで、自分が特別視され、社会から特権的地位を与えられなければならない「トンデモ」優生学の高みにまで、ブッチギリで登りつめてしまう。
ナチスユダヤ人を差別可能にするための、頭骨や脳梁や脊髄の大きさの差異を「求めた」ように、彼らは、自分が特別視されなければならない理由を「頭がいいから」探さずにはいられない、というわけである orz...。

人格知識論の生成―ジョン・ロックの瞬間

人格知識論の生成―ジョン・ロックの瞬間