レオ・シュトラウス『自然権と歴史』

稲葉さんのリベラリズム本は、永井均の「この私」論から始まっているが、その内容は、言いえて、「不気味」な分析より始まっている。稲葉さんは、永井の語る「この私」についての陳述を、その永井という固有名を稲葉と置き換えることによって、「自分が陳述している」ものとして読むことが可能であった、という「回想」から始めておきながら、ある

  • 注意

を読者に促す。

私、稲葉は永井とは異なり、「この私」についての思想が「本来的に伝達不可能」であるとは考えない。その伝達は私の場合、永井を最初に読んだ際の1の局面においてたしかに起こっている。ただしその時私は永井の「この私」にではなく稲葉の「この私」についてなにがしかの理解を行ったのであり、永井の「この私」にではなく稲葉の「この私」についてなにがしかの理解を行ったのであり、永井の「この私」についてではない。そして永井の言わんとするところは、永井の「この私」については決してその本当の意味を稲葉などの他者に伝達することはできない、ということである。そこでは不可避的に客観化が行われている。

リベラリズムの存在証明

リベラリズムの存在証明

稲葉さんは、このように、一方において、永井さんが語る「この私」論が、まるで、自分が語ったかのように、読める、という意味で、ある種の、「共通」性や、

  • 客観化

が成立していることに「同意」しておきながら、お互いの、その「解釈」の本質的な違いを強調している。しかし、ともかくも、この「客観」化が、どういった含意となっているのかを、さらに、永井の考察に基いて分析している。

にもかかわらず自らの「この私」についてある存在者(たとえば永井)が発した言明は、永井が模範的に示したような適切な形をとりさえすれば、確実に他の存在者(たとえば、稲葉、そして永井の著作が広く読まれており、永井もまたそれをある程度は歓迎していることから推測すれば、稲葉を含めた不特定多数の永井以外の人間)に対して、そん「この私」についての自覚を喚起する形で伝達されうる、ということは、繰り返しになるが、まさに驚くべきことである。その上でどちらの存在者もそれぞれに「この私」を備えている、との了解が共有されたとき、そこにはたしかに客観化が行われ、そのように理解された一般的な概念としての「この私」はもはや本来の主観的性格を失っている。にもかかわらずこうした驚きを経由した客観化は、たとえば単に「永井も稲葉もそれぞれに唯一無二の存在者である」とする類の客観的言明とは決定的に異なっているのだ。ではどこが異なっているのか?
永井は自身の「この私」に対しては改めて<私>ないし「独在性のわたし」という記述を与えており(永井「独在性の意味」『人文科学論集』二六号、一九九二年、信州大学人文学部)、以下のような説明を与えている。

「要するに問題は、世界には並び立つ無数の人間たち、つまり諸々の「私」たちだけではなく、特別な、例外的なありかたをした一人の人間、つまりこの私というものが存在しているということであり、そしてその例外的なありかたは、その人間のいかなる性質とも無関係に成立している、ということなのである。これが問題の出発点である。この事実を私は次のように表記する。世界には、無数の「私」たちとは別に<私>が存在する、と。<私>には隣人がいない。すなわち、並び立つ同種のものが存在していないのである。どうしてそんなものが存在しているのか。それはわからない。しかし、その存在の構造は、いくらかは解明することができると思う。
(ソール・アーロン・----引用者)クリプキは『名指しと必然性』の中で、ある一人の人間が現実とは別の両親から生まれたという可能性を考えることができるか、という問題を立てている。これは認識論的な問題ではなく、形而上学的な問題である。つまり、その人物が実はこれまで両親であると信じられてきた人間とは別の人間から生まれていたことがわかった、ということ可能か、という問題ではない。その人物が現実に両親である人間とは別の両親から生まれていた、ということが考えられるか、という問題なのである。(中略)
たとえば永井均は彼の両親からしか生まれえない。別の両親から生まれた男は、どれほど彼に似ていようと永井均ではない。しかし<私>は違う。<私>はどのような両親からでも生まれえた。なぜなら、いまたまたま永井均である<私>は、他の人物であることも可能だったからである。(中略)すなわち、<私>が永井均であることが偶然的であるような水準が、たしかに存在するのである。ここで重要なことは、永井均やエリザベル二世には、隣人、すなわち並び立つ同種のものが存在するが、<私>にはそれが存在しない、ということである。(中略)永井均やエリザベス二世がしかじかのありかたをしていることは世界内的諸事実であるが、<私>が永井均であったことは超越的事実である、と言っても同じことであろう。
クリプキならば、このような考えかたを即座に否定するにちがいない。(中略)そしてそれは、クリプキと私との、いわば神学上の見解の差である。彼は(中略)「私が私の現実の起源とは別の精子卵子とから生まれて暮ることを想像するのは難しいという事実は、われわれがそれほど明確な魂や自己の概念を持っていないことを示しているように思われる」と述べている。もちろん私は、そのような想像が難しいという事実をまったく認めない。認めるのは、クリプキ永井均が彼らの現実の起源とは別の精子卵子から生まれて来ることを想像するのは難しい、という事実だけである」(永井前掲書、二二五--二二八頁)

クリプキがここで問題にしているのは唯一無二性である。ソール・アーロン・クリプキもエリザベス二世も永井均稲葉振一郎も、それぞれに時間と空間の中でただ一つの個体である。永井が、そして私、稲葉が問題としているのはそのようなことではない。私、いやよりはっきりさせるならば<私>はソール・アーロン・クリプキでもエリザベス二世でも永井均でも稲葉振一郎でもありえた。<私>はそれを想像可能である。しかし私が<私>でなくなることだけは想像できない。
永井から、稲葉振一郎という<私>に対して、永井自身の「<私>」についての思想と哲学の伝達が成功を納めあ理由はここにある。<私>の唯一無二性は通常の意味での唯一無二性、世界の中に一つしかない身体と心を保有することから来る唯一無二性などではない。それどころか、<私>は稲葉振一郎以外の存在者でもありえた。それゆえにこそ<私>は、まさに自分が永井均でもありえたがために、永井均という他人の「<私>」についての言明をまさに<私>についての言明として無批判に読むことができたのである。これが先に示した1のステップである。
リベラリズムの存在証明

この後、永井さんは、ある種の、「魂」の同一性という、

  • 驚くべき

言明を始めるのだが、それに対しては、稲葉さん自身は同意せず、その反論が説明されている。
そして、その反論の構造が、上記の最初の引用の文章に似ているのだが、どうして、私がここで、永井さんの「独我論」に対しての、稲葉さんの解釈にこだわっているのかは、そこにある。
なぜ、この稲葉さんの議論が興味深いかというと、稲葉さんが永井さんの議論において「同意」している部分が、ちょうど、いわゆる「構造主義」と呼ばれているものと「同型」の対応にある、と解釈できるからである。

作品が作者=神によって支配された閉鎖空間であるのに対して、バルトの言うテクウトとは、対照的に「開かれた」ものだ。テクストが開かれているなら、作者が自らだけでつくりあげたと思っている文体やその思想も実は暗黙裡にせよ、それ以前のテクストとの対話を前提としている。ある推理小説というテクストが初めて教師による生徒の殺人を告白形式で物語り、それ以前のテクストでそのような題材がとりあげられることがなかったとしてみよう。そのような物語が存在しなかったからこそ、そのテクストが書かれたのである。
「いや、似たような物語はあった」という反論が投げかけられるかもしれない。しかし仮にあるにしても、教師の告白によって謎が明らかになる形式はなかったとも言える。あるいは「生徒の告白」によって謎が明らかになる形式が先行しており、それが評判を呼んだから、それに対抗して「教師の告白」というエクリチュールが生み出されたということも考えられる。
このように、独創的とみえるものも必ず同時代や過去のテクストとの対決を踏まえているし、ある種の言葉遣いも前例のあるもの、前例をひねったものであったりする。
もちろん既知の文法の文法ルールに従った運用が制約としてそこには課せられることになる。そのようん前例との対話をバルトは「引用」という語で表している。「あるテクストを構成している引用は、作者不詳、出典不明であるが、しかしかつて読んだものである。それは引用符のついていない引用である」「あらゆるテクストはテクスト相互関連にとらえられる」。しかしどこかにただ一つの起源や源泉が求められるとは言い難く、影響関係は錯綜としている。「『テクスト』とは、いかなる言語活動も他の言語活動の優位に立たず、すべての言語活動が(循環する、というこの用語の意味をも保ちつつ)交流する空間なのである」。あるテクストはそれ以前にあったテクスト群を引用し、それ以後のテクストに引用される。その意味で「テクストはそれ自体が他のテクストの中間テクストである」。

ほんとうの構造主義 言語・権力・主体 (NHKブックス)

ほんとうの構造主義 言語・権力・主体 (NHKブックス)

例えばレヴィ=ストロースは、幼くてまだ歩けず字も読めない頃、乳母車に乗っていたとき、肉屋(boucher)とパン屋(boulanger)の看板の最初の三文字は、同じような形をしているから「ブー」(bou)という音を表しているに違いないと叫んだという。幼い頃から構造の中の不変項を見つけ出そうとしていたことになるとレヴィ=ストロースは述懐している。こういうエピソードを聞くと人は、(第二章以降でくわしく述べることになる)構造分析的志向のあったレヴィ=ストロースのちに構造主義の旗手になったと思いがちであるが、そうでないのだ。構造主義的思考にもとづき試みられる構造分析を発表し続けたゆえに、レヴィ=ストロースは自らの人生の初まりの中に不変項への意志を発見したのである。
ほんとうの構造主義 言語・権力・主体 (NHKブックス)

ここで、私たちは、二つの問いに直面させられる。

  • 永井さんは「構造主義」を意識して書いているか?
  • 稲葉さんは「構造主義」を意識して書いているか?

前者については、私は分からないけど、後者については正しいのではないか、と私は考えている(というのは、稲葉さんの永井「独我論」の論点の立て方が、上記のように完全に対応しているように思われるからだ)。
稲葉さんが、永井さんに同意している部分は、いわゆる「この私」についての論述の部分であるが、これは、上記の意味で、「シニフィアン」が同一なのである。

  • だから

稲葉さんは、「仮に」ここで、同意したことにしてみせる「素振り」を行っているわけである。
しかし、他方において、稲葉さんは、「この私」という「シニフィエ」は、永井さんと自分とでは、当然、違うよね、という「いじわる」な回答をしている。
しかし、もっと「いじわる」に言わせてもらうなら、そもそも、その「この私についての論述」自体の「シニフィエ」が、稲葉と永井さんで

  • 同じはず

なんて「絶対」に言えない、ということだ!

バルトもそしてレヴィ=ストロースも述べているが、ある言葉の意味がわからないとき辞書をひく。そこで記されている別の言葉が意味(シニフィエ)だと思われがちだが、その言葉自体もシニフィアンシニフィエからなり、その言葉の意味がわからないとさらに辞書をひく。理論的に終わりない。このとき辞書でまず私たちの目を奪うのはシニフィアンなのである。この意味でもバルトはシニフィアンシニフィエから解き放とうと言おうとしている。シニフィエという超越的なものを否定しているのだ。
ほんとうの構造主義 言語・権力・主体 (NHKブックス)

(上記からの繋がりを考えたとき、この稲葉さんの本では、この後、リチャード・ドーキンスの「ミーム」についての考察もされているが、それについて、どういった評価をしているのかも、興味深いかもしれない。)
さて。永井さんは何をしているのだろうか? なぜこの問題が興味深いのか。それは、いわゆる、「リベラリズム」と呼ばれる、政治運動における、「共感」とか「寛容」といった政治的態度が、実際には、何をやっていることになっているのかに関係する。
ごぞんじのように、ナチス・ドイツは、民主的な手続きを経て、政権を奪取し、ファシズムを遂行する。つまり、リベラル・デモクラシーの理念を体現したワイマール共和国がナチ・ドイツというファシムズへの

  • 堕落

する過程には、「自然権概念の忘却あるいはその否定」があったわけである。つまり、掲題の著者においては、このことは、そもそも、自然権とはなんだったのか、の考察なしには考えられない事態を意味したわけである。
(これと同じことは、現在の日本において、特定秘密保護法が成立してしまう、という「民主主義の堕落」とも関係する。)

今日多くの人々が抱いている見解では、いま問題にしている基準なるものはせいぜい、我々の社会や我々の「文明」によって取り入れられ、その生活様式や制度の中に具体化された理想にすぎないということになる。しかし、この見解にしがえば、あらゆる社会は、人喰い人種の社会も文明社会に劣らず、それ自身の理想をもっていて、もし原理が、ある社会に受け入れられているという事実だけで十分に正当化されるのであれば、カニバリズムの原理は文明社会の原理と同様に、擁護しうる健全なものとなる。この観点かすれば、カニバリズムの原理もたしかに、端的に悪として斥けることはできんくなる。そして、我々の社会の理想も明らかに変化しつつあるものえある以上、我々がカニリズムの方向への変化を平然と受け入れるということになろう。

つい最近、アニメ「少女革命ウテナ」について論じたとき、宮崎駿全体主義論について書いたが、ようするに、リベラリズムという「高い理想」は、時間の経過と共に、

  • 堕落

するのだ。リベラリズムというメタ・リベラリズムは、なぜ「堕落」、すなわち、ナチス・ドイツ化してしまうのか?
私は、結局のところ、リベラリズムという概念が、「シニフィエ」において定義されている概念だからなのではないか、と思わずにはいられない。つまり、上記の稲葉さんにしても、ドーキンスミームの問題を、あまり本気で考えていない。
私は、法の「正統性」は、最終的には、「法創造論」にしかないと思っている。つまり、法の正統性とは、その法が判決される、その一瞬一瞬において、その「意味」が、常に、そこで、創造されている、という考えである。
しかし、このことは、あらゆる「テクスト」においても、同じなのではないか。
どうも、ポスト・モダンだとか、現代思想だとかに、興味をもつ人たちは、数学で言う「モデル」を、<万能>のツールのように解釈しがちなんじゃないか、という印象を受ける。数学が言う「モデル」は、しょせん、ある「解釈」にすぎない。つまり、そうである限り、現実の「完全」なマッピングではありえない。それは、現実のある「側面」を、切り取る上で、

  • (なんらかの解釈の上で)有効

だから、そうしているにすぎず、つまり、極めて、「道具主義」的な実践において意味があるにすぎない。つまり、その「道具」とその意味は、区別できないのだ。
ここで問われているのは、いわゆる、リベラリズムにおける、さまざまな「概念」のナイーブさ、なのではないか? どうも、リベラリストは、そういったメタ的政治言説の構築物の「意味」を、ナイーブに

  • 存在する

と思いすぎなのではないか。
戦後日本の民主主義がなぜ、比較的に正当性があるのか。それは、戦後日本の「実践」を抜きには考えられない。戦後日本の「平和」を、私たちが、比較的、「心地よい」と思ってきた限りにおいて、

  • 具体的に何が行われてきたのか

が問われているわけである。その具体的な実践と、この「心地よさ」を区別することはできない。これは、たんに「観念的」にリベラリズムを想起することとは、本質的に違う性質のものと考えなければならない(簡単に、戦後左翼を嘲笑していれば済む話ではないのだ orz)。
このことを、掲題の著者は、

  • 歴史主義

と呼んでいる。なぜ、ナチス・ドイツにおいて、自然権は「堕落」したのか。それは、リベラリズムにおける、その「メタ」性が、最初から、自然権概念の「歴史」性を担保しうる強度をもっていなかったからではないのか。
私は、今後、同じ問題を何度も繰り返すように思われてならない。

プラトンからヘーゲルに至るまでの綺羅星のごとく並ぶ政治哲学者たち、それに自然権論者たちのすべては、政治上の基本的問題の最終的解決は可能であると想定していた。この想定はつまりところ、人はいかに生きるべきかという問いに対するソクラテスの答えに基づいている。我々が最も重要な事柄について無知であることを自覚することによって、我々は同時に、我々にとって最も重要なことあるいは唯一必要なことは、最も重要な事柄にういての知の探究あるいは知恵の探究であることを、自覚するのである。この結論が少なからぬ政治的帰結をもたらしていたことは、プラトンの『国家』やアリストテレスの『政治学』の読者には周知のことである。たしかに知恵の探究が首尾よく行われた挙句、知恵は唯一必要なものではないという結論に至らないとも限らない。しかし、このような結論も、それが知恵の探究につとめた結果であるという事実があればこそ、適切性を持ちうるであろう。

ソクラテス無知の知とは、知らないという「なにか」を「固有名」的に「指示」しうる、という考えであり、この考えが、上記の引用にもあるように、

  • 知恵
  • 知る

といった言葉の、「ミーム」的強力さを、後世においても、実践してきたわけである。これが「歴史」である。
私は、いわゆるリベラリストは、自分が日頃使っている言葉が、例えば、あと、100年後に生き残っているのか、とか、多くの大衆に「ミーム」的に普及していけるのか、とかを、本気で考えた方がいいんじゃないのか、と思うわけである。
脆弱な、曖昧な「シニフィエ」しかもたないような、夜郎自大な「思想」は、時間の経過と共に、「堕落」する。
しかし、このことは逆からも言える。
自然権のような、近代市民社会を維持していく上で、最も重要な概念を、堕落させてはならないのだ。だとするなら、どうするか。その自然権という概念を「歴史的」な文脈に遡って、

  • 再発見

しなければならない...。
(掲題の本が、ハイデッガーの「存在と時間」との「対決」の本であるということは、多くの意味を含意しているように思われる。というのは、結局のところ、現代思想だとか、ポストモダンだとか、みんな「ハイデッガーの子供たち」だからだ。そういう意味で、彼らが「歴史」を嘲笑するのは、どこか当然なのだろう...。)

自然権と歴史 (ちくま学芸文庫)

自然権と歴史 (ちくま学芸文庫)