象徴作用

今週の videonews.com で、宮台さんが言っているが、中国でなぜ、毛沢東がアイコン化しているのかは、本当の意味で、毛沢東が「正しい」から、ということではないのである。
それは「象徴」なのである。
つまり、本当は「今」の話をしているのだ。「今」の何かに、抵抗したいのである。毛沢東の名前を出すことによって、今の、政治の腐敗が、いかに問題であるのかを語ろうとしている。
このことを、宮台さんは、日本における映画「三丁目の夕日」ブームになぞらえる。この映画の、古き良き日本を礼賛する雰囲気を、ネット上で「嘲笑」する言論人が見られたが、彼らは、そのことが、なにを「象徴」していたのかを考えなかったわけである。
三丁目の夕日」のアイコン化は、当時の日本が素晴しかったからではなく、「今」の政治の腐敗を、今の大衆の倫理の残念さをなげいているわけである。
毛沢東が完全無血の善人であったわけがないし、「三丁目の夕日」の描く戦後の焼け野原において、なにもかもが「ユートピア」だったわけがない。
そんなことは分かりきっている話で、今さら、そんなことが言いたいだけの理由で、こんなことを言い始めるわけがない。つまり、こういった

  • 嘲笑

をしている有識者自体の、「非倫理」的な日常の態度が問題にされているわけであろう。
つまり、どっちが、言語の象徴作用を理解できない、「頭が悪い」奴であるのか、を示していた、ということである...。