柄谷行人「付論 二種類の遊動性」

柄谷さんの近著、『遊動論』を読んでいて、基本的にこの人は、一貫している、という印象を受ける。昔からの関心を基本的には、続けて考察している。つまり、ずっと、「探究」の続きを書いている。
『探究2』において、ルソーの自然人の話がある。この場合に、それは、マルクスが言った意味で「抽象力」の話なんだ、とある。

マルクスは『資本論』で、貨幣の起源に関して実証的に確かめることはできない、なおそれを考えるためには「抽象力」が必要だ、と書いている。同様に、定住以前の狩猟採集民社会がいかなるものであったかは、実証できる問題ではなく、「抽象力」の問題、いいかえれば、思考実験の問題である。

しかし、それはどういうことなのか。というのは、つまりはこれは、ヘーゲルがこだわった「歴史哲学」の問題を言っているのであろう? どうして、他の人は、そういった問題意識をもたないのかな?
私が理解できないのは、そういった人々が今、自分の中にもっている「自明性」なのだ。自明だと思い、共通理解が「ある」と思っていながら、実際にやっていることは、自らの「自明」な感覚を他人に押しつけている。いや。

  • 自らの「自明」な感覚と同等の「理屈」によって、社会システムは、<解釈>されていなければならない(=逆に言えば、自分が大学で受けた教育や大学で)

と思っている。つまり、大学の研究者コースをトレーニングされた人たちには、「ツーカー」のジャーゴンや、共通「感覚」が、完全に共有されていない人間は人間でない、とさえ言いたいかのような口ぶりで、大衆を愚弄する。
しまいには、「フラット革命」とか言って、世界は、一つの「共感」によって、単一色になり、もはや、「地域差」はなくなる、というわけだけど、でもそれって、「お前から見た<自明性>」なわけで、自分が見えるもの、自分が見ているものを「世代」とか、そういった言葉で普遍化してみても、それを他人が同意しないなら、「自分ローカル」な話だよね、って。
そりゃあ、彼らは、産まれてから今日まで、学校の先生の言うことを素直に聞いて、もはや、その手つきは、職人芸の域にまで、達しているんだろうね、なんの役に立つのか知らないけど。教授の意をくみ、ツーと言えばカーでやってきて、自らの「共通感覚」を、エリート教育そのものにまで「同一色」に染め、生きてきたんだろうよ。その努力たるや、たいしたものだよ。普通の人は、そこまで我慢強くないからね。
柄谷さんは、一貫して、マルクスであり、フロイトで考えている。私が不思議なのは、彼を批判するなら、マルクスや、フロイトを批判し、乗り越えたらどうですかねw。マルクスフロイトを今読んでも、なんの意味もない。時代は、最新の「学問」の、うんちゃらコミュニケーション学だ、とか。まあ、その学問の名前自体が、ぽっと出の、意味不明のアカデミズム・プロレスなのであって、学問なんだから好きなだけ「あなたが思うw真実」の「探究w」をされたらいいんじゃないですかね、そのために、どうしてそんなプロレス技みたいな名前がいるのか知りませんがw。

狩猟採集によって得た収穫物は、不参加者であれ、客人であれ、すべての者に、平等に分配される。これは、この社会が狩猟採集に従事しているからではなく、遊動的だからである。彼らはたえず移動するため、収穫物を備蓄することができない。ゆえに、それを所有する意味もないから、全員で平等に分配してしまうのだ。これはまさに「純粋贈与」であって、互酬的ではない。収穫物を蓄積しないということは、明日のことを考えないということであり、また、昨日のことを覚えていないということである。したがって、贈与とお返しという互酬が成立するのは、定住し蓄積することが可能になった時からだといえる。

これは、言うまでもなく、ルソーの自然人を説明するものであろう。つまり、柄谷さんは、ここにおいてまで、『探究2』で考察された、ルソーの自然人の「抽象力」にこだわっている。
ヘーゲルの言う「歴史哲学」は、いわゆる、実証研究における「歴史学」とは一線を画するものである。しかし、そう言うと、「歴史学」の側は、その意味を、

  • トンデモ学

と解釈して、自分たちが「守っている」作法に違反しているといって、人格攻撃を始める。ところが、そういった人に限って、そもそも、ヘーゲルの歴史哲学に関心がないどころか、むしろ、本音では、こっちの本家こそトンデモだと思っている。ところが、彼らは「そう言わない」のだ。自分の本音を隠すのだ。これが、

  • タブー

である。彼らは攻撃「したい」連中をまるで、それが「いじめ」であるかのように徹底的にたたくが、そこには、ある

  • 聖域

がある。というのは、実は、彼らの学問の根本的なところは、むしろ、ヘーゲルマルクスフロイトやルソーの「それ」に依存しているから、なのである。
そもそも、ヘーゲルは歴史哲学にしか興味がなかった、と言っていいであろう。それは、哲学には歴史哲学しかない、という意味でもある。つまり、それ以外の、哲学と呼ばているものは、実は、別の科学なのだ。
近代科学は、そもそも「今」の学問である。考古学に至ってまで、「今」のことを問うている。というのは、そもそも、こういった学問は「エビデンス・ベース」に推論することが基本だからだ。そういう意味において、科学は「過去」を扱えない。それは、この学問の「限界」を意味している。
哲学は歴史哲学でしかありえない、というのは、こういう意味である。過去は、今ここ、にはない。そういう意味において、過去は「存在しない」。しかし、奇妙なことであるが、私たち自身が、

  • なぜ今このようにあるのか

を問うとき、どうしても過去についての抽象的な仮説的考察が必要となる。しかし、その考察は、決してエビデンス・ベースで行うことは「原理的」にできない。もちろん、考古学的な研究成果が参考にされない、ということを意味しているのではなくて、これは、

  • 抽象的な(思考の)「モデル」

を仮定する実践的な意味が問われているわけである。ここで、この「モデル」を

  • 意味論的

に解釈しては、本来のその意味を見失う。つまり、大事なことは、この「モデル」は、あくまで「形式的」なものであって、そのモデルの意味的な説得性が問われているわけでない、ということである。
ここで問題にしているのは、ある「抽象力」である。その「モデル」の意味が何を主張しているのか、といった「プロレス」ではなく、その

  • 形式

が具体的に、どういった、この社会システムの、さまざまな現象を説明するのに、「整合的」であるのか、説得的であるのか、が問われているわけである。
(それが、ヘーゲルの歴史哲学を、他の通俗的社会科学と区別する意味である。)

くりかえすと、定住とともに、集団の成員は互酬性の原理によって縛られるようになった。贈与を義務として強いることによって、不平等の発生を妨げたからである。もちろん、これは人々が相談して決めたことではない。それはいわば「神の命令」として彼らに課されたのである。では、「神」をもちださないで、これをどう説明すればよいか。この問題にかんして示唆的なのは、フロイトの『トーテムとタブー』(一九一二 -- 一三年)である。フロイトは、未開社会における「兄弟同盟」がいかにして形成され維持されるのか、という問題を考えた。つまり、彼の関心は、部族社会における氏族の平等性・独立性がいかにして獲得されたかにあった。
フロイトは、その原因を息子たちによる「原父殺し」という出来事に見いだそうとした。いうまでもなく、これはエディプス・コンプレックスという精神分析の概念を人類史に適用するものである。しかし、太古に「原父」がいたという見方は、フロイトの独創ではなく、ダーウィンをはじめ、当時の学者の意見にもとづくものである。彼らはゴリラ社会の雄から「原父」を考えたのだ。もちろん、このような理論は今日の人類学者によって全面的に斥けられている。したがって、フロイトの理論も斥けられている。
確かに、太古に「原父」のようなものは存在しない。そのような原父は、専制的な王権国家が成立したのちの王や家父長の姿を、氏族社会以前に投射したものだ、というべきである。だが、そのようにいうことで、フロイトの「原父殺し」および反復的儀式という見方の意義が消え失せることはない。フロイトは、氏族社会の「兄弟同盟」的なシステムが、なぜいかにして、強固に維持されているのかを問うたのだから。フロイトを否定する者は、その問いに答えなければならない。未開社会には互酬制がある、というのは答えではない。いかにして互酬制が生じたか、また、なぜそれが人を拘束する力があるのか、という問いに、答えなければならない。
むろん遊動的バンド社会には、「原父」のようなものは存在しなかった。バンドの結合、家族の結合は脆弱なものであった。この意味で、フロイトが依拠した理論はまちがっている。しかし、こう考えればよい。定住化とともに、階級と国家が生じる可能性、つまり、国家=原父が形成される可能性があった。トーテミズムはそれを防ぐために、あらかじめ「原父殺し」を行うことであり、そして、それを反復することである。その意味で、原父殺しは、経験的に存在しないにもかかわらず、互酬性によって作られる構造を支えている「原因」なのである。
フロイトは、未開社会のシステムを「抑圧されたものの回帰」として説明した。彼の考えでは、一度抑圧され忘却されたものが回帰してくるとき、それはたんなる想起ではなく、強迫的なものとなる。氏族社会に関するフロイトの理論では、回帰してくるのは、殺された「原父」である。しかし、われわれの考えでは、「抑圧されたものの回帰」として戻ってくるのは、定住によって失われた遊動性、あるいは、遊動性がもたらす自由と平等性である。

私は同様の意味において、フロイトの最も重要な仕事は、この「トーテムとタブー」という論文だと思っている。
フロイトは確かに、心理学者として、多くの著作があるが、私はそういったもの自体には、それほどの「意味」があるとは思わない。
しかし、こと「歴史哲学」は別だと考えている。ある意味においてフロイトの仕事は、この「トーテムとタブー」を書くための前段だったんじゃないか、とまで言っていいんじゃないかと思われる。

タブーの語義は、我々にとっては対立する両方向へと分かれる。一方で、「神聖な」、「聖別された」を意味し、他方では「不気味な」、「危険な」、禁じられた」、「不浄な」を意味する。タブーの反対語はポリネシア語では noa であり、「日常の」、「誰にでも開かれた」を意味する。このようにして、タブーという語には、「敬遠」という概念に相当するものがこびりついており、本質からしてもタブーは禁令や制約という形で現れる。我々が「神聖な忌避[heilige Scheu]」という熟語をつくればタブーの意味と重なるところが多いであろう。
タブーによる制約は、宗教的もしくは道徳的な禁令とは別のものである。タブーの制約は、神の命令に起源を求められることはなく、本来おのずと禁じられるものである。それはまた、すべての人々に節制の必要を説きこの必要性を根拠付ける体系に組み入れられていないから、道徳的禁令からも区別される。タブーの禁令はいかなる根拠付けも欠いており、その起源は知られていない。このようにタブーによる禁令は我々にとって不可解であるが、その支配下に暮らす人々にとって自明のこととして現象している。

フロイト全集〈12〉1912‐1913年―トーテムとタブー

フロイト全集〈12〉1912‐1913年―トーテムとタブー

さて。「トーテムとタブー」というフロイトの論文は、タブーという言葉の定義から始まる。心理学という学問は、あるアポリアを抱えている。というのは、心理学が「無意識」という無定義用語によって、「説明」される「説明体系」だから、である。
たとえば、フロイトの言うタブーは、「無意識」に関係している。そうすると、ちょっと頭の良いインテリは、すぐに、

  • じゃあ、その無意識を意識化すればいんじゃね?

となる。しかし、そうではないわけである。フロイトの言うタブーは、

  • 「無意識を意識化できない」、そういう種類の無意識

だというわけである。しかし、意識化できないのに、どうやって、それが「ある」と言うのか? しかし、フロイトに言わせるならば、もはや、そう言わざるをえないかのように、あまりにも、「無意識があると言わざるをえないくらいに、そのことが自明に思われる」ということなのである。
つまり、フロイトの言うタブーは、実際に、私たちにとって、それが無意識かどうかが問われているのではなく、その「形式」が、どう考えても、そういった形でしか説明できないような、性格として、私的できる、ということである。
たとえば、ここで、少し寄り道をして、原発と東大の関係を考えてみたい。
私が最近気付いたのは、原発というのは、東大派閥VS京大派閥の問題なんじゃないのか、という疑惑である。
東京の学者たちが、次々と、東京都知事選において、細川元総理に「不快感」を表明したのに、私はある疑惑が浮かんだ。彼らは、細川候補がいかにダメかを口を極めて罵しっただけでなく、他方において、宇都宮候補に「好感」を寄せすらした。宇都宮候補では、この選挙に勝利することはないことを「分かった」上で、ある。つまり、彼らは、そういった態度を行うことで、結果として、舛添候補を勝利に導くことを暗に示唆していた。
しかし、なぜであろうか?
私が不思議なのは、なぜ、彼らは、BWR型とPWR型の違いについて語らないのだろうか?
そう考えてきたとき、関電を中心とした南日本がPWR型を推進してきた反面、東電は「なぜか」BWR型という、

の、

  • 世界的に非常にマイナー

原発「ばかり」作り続けた、ということである。もちろん、いろいろな人たちが言っているように、それぞれ、特徴があり、一概に「どっちが危険か」ということが言えないことが分かった上で、しかし、そもそも、

  • 世界中の「ほとんど」が、PWR型であり、BWR型なんていう「あまりにマイナー」な原発を動かしている国は世界中にほとんどない(東電くらいしかW)

ということなのである。言うまでもなく、「めずらしい」原発ということは、それだけ、「使われていなく実績がない」ということである。世界でより使われて、実績があるものではないのである。
こんな潜在的な危険を、たんまりとテンコモリされた原発をなぜ、東電は固執し、そればかりをこんなに「たんまり」と作り続けてしまったのか。そこには、まず、第一に、BWR型の方が「安全を考慮しなければ」、経済的に安上がりだった、からである。しかし、そのことが、例えば、エンジニアやオペレーターにとって、管理しやすいかを、まったく意味しない(明らかに、BWR型は、エンジニア寄りのエリアにまで、放射能をおびた水が循環してくるのだから、非常に「管理」が難しいことだけは、間違いないであろう)。
しかし、おそらく理由はこれだけではない。明らかに、

  • 東大派閥

がある。東大の学者たちが、京大との対抗意識から、こんな危険な原発を推進してきた。これは、東大系と京大系の仁義なき戦いなのだ。もしも、BWR型の原発を、この日本に存続させることに成功した「国民扇動の知識人」がいたなら、そいつは、

  • 東大「の」英雄

になるであろうw。東大は京大との対抗意識の「メンツ」だけで、BWR型の存続にしか興味がない。まさに、「千代に八千代に」であって、彼らは、どんなに住民を被曝させ、健康被害を起こそうが、戦中の、陸軍と海軍のメンツ争いのようなもので、

  • 京大に「負け」られるわけがないだろ(プンスカ

くらいにしか思っていない。東大が、BWR型などという、世界でも超マイナーな原発を、必死になって、「ランニングコストが安い」という、ただそれだけの理由で、推進し続けたことが、一体、どれほどの「悲劇」をうんだのか。
大関係者は、フロイトの言う「兄弟同盟」のようなもので、横の繋がりが強い。東大派閥で、さまざまな政界、財界の鉄の繋がりがあって、お互いがお互いをdisらないという不文律がある。もしも、この掟(おきて)を破ったら、東大人脈からハブにされるのだろう。だから彼らは、必死になって、BWR型の「千代に八千代に」を目指す。
私は、今回の福島第一の事故は、全共闘世代が、自分たちが通う大学の教授たちの、戦中の

  • 戦争責任

を糾弾し、さらし上げたのと同じように、東大(出身の)学者たちを、徹底して糾弾し、彼らの「戦争責任」を、追求していく必要があるのではないか、と思うのだが。
また、それと同時に、東大を、果して、今後も存続させる意味があるのか、を問うべきではないか。京大があれば、東大がなくたってよくないか。もう一度、ふりかえって、少なくとも、まるで、東大が日本で一番の大学といったような、ブランドを、いったん格下げする必要があるのではないか。そうでもしないと、東大の非倫理性は、一向に改善しないのではないか。
最近の雰囲気では、まるで、東京は、被曝していないかのような、安全厨ぶりであるが、言うまでもなく、東京だって大きく被曝したし、さまざまな健康被害が、まったく、それと判別できない形で、人々にあらわれるであろう。しかし、安全厨は、たとえそうだったとしても、中国のPM2・5のせいだとか、いろいろ難癖つけて、大衆の健康の原因の議論を雲散霧消にさせようとしてくるであろう orz。
私は、大学と社会の関係を考えるときに、多くの知識人が、あれほどまでに、オウム真理教や、大学内における新左翼を「社会問題」として言及していながら、早稲田大学を中心にして起きた、「スーフリ」の問題に、ほとんど言及しないことに、一種の

  • タブー

があることを感じている。私から言わせれば、この二つの事件は、明らかに、後者の方が異常であり、問題であったと私は思っているからである。
彼ら「スーフリ」集団は、まず、学生を中心に、かなりの大規模な実行集団を形成していたことと、かなり、確信犯的に、大学というところが、どういうところなのかを分かっていない、田舎から上京してきたばかりのウブな女子学生をターゲットにしていた。これだけの意味では、たしかに、新左翼オウム真理教と似ていなくはない。また、そうして彼らが「実行」したことが、「犯罪」であったという点においても、新左翼オウム真理教が問題視される場合の論点と表面的には似ている。
しかし、決定的に違っている点がある。それは、「スーフリ」は、レイプという社会的に許されない反道徳的な実践集団だったから、である。
これの、どこが問題なのか?
それは、社会にとって、大学が「どういった所だと思われているのか」という通念に反していたから、である。
日本中の大衆にとって、大学は、いろいろな意味で「あこがれ」の場所であり、もっと言えば、「尊敬」の場所である。多くの大衆は、この日本を維持していくのに、そういった場所で学んだ人たちの力が必要だと思っている。そして、そう思って、自分の息子や娘を通わせる。
ところが、実際の大学は、こういった「スーフリ」集団の巣窟だった、としたら、どうなるか。まず、大衆は、大学に対する「尊敬」を一気に喪失するであろう。すると、まず起きるのは、大衆は自分の税金を、こんな鬼畜組織に使うな、と要求を始める。学生の奨学金は必然的に、縮小され、ローン金利と変わらないものになる。
新左翼オウム真理教は、少なくとも、表面的には、なんらかの「正義」に関係していた。いろいろな社会問題に取り組む一貫として、そういった学生自身による自治活動が認められてきた。しかし、「スーフリ」は、たんなるレイプ犯罪集団であった。こんな連中の巣窟に、自分の娘を放りこみたい親がいるであろうか。
しかし、なぜ「スーフリ」問題を、彼らは「タブー」としたのか。私は、その雰囲気として、どうも彼ら自身に「たいしたことじゃない」という雰囲気を感じるわけである。
例えば、功利主義という考えがあるが、この主張が好きなのが、こういったエリート大学の人たちであるわけだが、私はその主張のベースのところに、

  • エリートが大衆をレイプすることは、たいしたことではない

といったような「非倫理性」があるのではないか、と思わずにいられないわけである。頂点の大学のエリートは、そのまま、国や大企業の重要ポストにスライドしていく。そういった重要ポストを担う人材を、たかだか、性犯罪で、人生を台無しにしたら、国家存続の危機なんじゃないか、と(私に言わせれば、こんなレイプ魔を、野放しにしている方がずっと、国家存続の危機であるがw)。
功利計算によって、エリート一人の「欲望」を充足させることのためには、大衆の一人や二人、死んだって、どってことない。そう言いたいんじゃないのか?
しかし、私は本気でそう思うわけである。つまり、彼らはそう「功利計算」をしているわけである。つまり、彼ら自身が、本音では、そうやって、大衆を説得したいわけだ。俺一人がいれば、お前たち大衆のほとんどを「幸せ」にするくらいのレベルの仕事をするんだから、俺がやりたいことをやって(福島の被災者を愚弄することをやって)、俺が楽しんで、俺が自分の「欲望」のままに生きることを、許せば、たとえ、一人や二人の大衆の「犠牲」が生まれようが、結果として、

  • ほとんどの大衆が(相対的には)幸せになるんだから、そっちの方がいいに決まっているだろ?

どっちがいいんだ? 幸せになる方がいいに決まっているだろ? と。
しかし、彼らのそういった非倫理性は、結果として、大衆にとっての、大学の「尊敬レベル」を著しく毀損した。そして、大学は、さまざまな社会からの「応援」を得られなくなってきている。学生への「尊敬」がなくなり、だれも、学生たちに金銭的な支援をやりたがらなくなっている。すると、大学に行くということが、基本的に、金銭的に富裕な階層の人たちの

  • 娯楽

のようなものに変わってきている、とも言えるだろう。お金の続く人たちがいるのが大学で、ほとんど多くの大衆にとって、大学は自分たちに関係のない場所になってきている。そのことは、逆説的であるが、全入時代の、ほとんどの高校生が大学に入るようになった今においてこそ、強まっている。そもそも、大学は研究機関のはずなのに、全入時代の学生は、まるで、高校の延長でもあるかのように、4年で卒業する。大学院に行かない。まさに、レジャーランドだ。
なぜ、人々は「スーフリ」について語らなかったのか。そこには、おそらく、「大学」閥という、横のつながり、フロイトの言葉で言えば、

  • 兄弟同盟

があるわけなのだろう。学者たちは、「無意識」に、この問題が「タブー」であることを理解して、徹底して語らなかった。それは、自分たちが依存する大学が、どういった条件において、存在しているのかの、その存続形式を直感的に理解したからだ。おそらく「スーフリ」に関わっていた人、スーフリのレイプ接待を受けていた人には、多くの「大学」閥関係がいたのではないか。
彼らが嫌ったのは、こういった横のつながりのどこかでの、兄弟同盟のだれかを追い詰める結果になることで、自分がうらまれ、結果として、今度は自分が兄弟同盟のハブにされることだったのではないか。
東大出身者が原発推進を語ることと、知識人がオウム真理教については執拗なまでに言及しながら「スーフリ」については、まったくふれないことには、同様に

  • 大学閥を遠因とした「タブー」という「形式」

がある、という仮説を思うわけである。

フレイザーは次のように述べる。「最初期の王国は専制政治であり国民は王の支配のためにのみ存在しているという観念は、ここで我々が目の当たりにしている君主国には全く適応できない。反対に、この君主国では、支配者は彼の人民の幸福のために自然の運行を規制するときに限られるのである。彼が自分の立場にふさわしい義務を果たし、人民の幸福のために自然の運行を規制するときに限られるのである。彼がそれを怠ったり止めたりすれば、それまで彼に惜しみなく注がれていた配慮、帰依、宗教的尊敬はたちまち憎悪や侮蔑へと変化する。王は屈辱的な形で追放され、命だけでも救われたら幸せとせねばならないだろう。今日は神と崇められる者が、翌日には犯罪者として打ち殺されるということが起こりうるのである。しかし、この人民の態度の変化を決まぐれとか矛盾とか言って批判する権利は我々にはない。むしろ人民は徹頭徹尾一貫した態度を保っている。彼らが考えるように、彼らの王が彼らの神であるならば、王は自らが彼らの守護者であることを示さねばならない。だからもし彼が人民を守護する気がないのなら、その意志がある別の者に王位を譲らねばならない。しかし、王が彼らの期待に応える限りは、彼らの王への配慮には限界がなく、また同じ配慮を持って自分自身を遇することを王は人民から強要されるのである。このように王は、儀礼と作法のシステムにいわば封じ込められ、慣習と禁令の網に絡めとられて生きている。その目的は、王の威厳を高めることでも、まして王の享楽を昇進させることでもない。そうではなく、自然の調和を見出し、王やその人民そして全世界を同時に崩壊させるような振舞いを王に思いとどまらせることだけをただひたすら目的にしているのである。これらの規定は、安全にされているはずの生活が、王にとっては重荷になり苦痛となるのである」。
フロイト全集〈12〉1912‐1913年―トーテムとタブー

かくして、王のタブーの儀礼も、見かけは王に対する最高の敬意と安全確保でありつつ、本来は王の戴冠への懲罰であり、王に対する人民の復讐なのである。
フロイト全集〈12〉1912‐1913年―トーテムとタブー

フレイザー自身は説得的でないと述べているが、その印象的な論究によれば、最初の王は異邦人だり、短期間の支配の後、神性の代理として荘厳なる祝祭の生贄になることが決められていた。
フロイト全集〈12〉1912‐1913年―トーテムとタブー

ダーウィンの述べる原始群族には、当然ながらまだトーテミズムの始まる余地はない。すべての女を独り占めしながら、成長する息子たちを追放する暴力的で嫉妬深い父がいるだけである。社会のこのような原始状態は、いかなる場所においても観察されたことはなかった。我々がもっとも原始的な社会編成と見なし、今日もなお特定の部族で見られるのは、同等の権利を有するメンバーからなり、トーテミズム体系の制限に服しながら母系相続制を敷く男性連合である。これらのどちらか一方が出てきたということはありうるだろうか。そして、それはどのようにして可能だったのだろうか。
トーテム饗宴の式典を論拠とすれば、我々はこれに答えることができるであろう。ある日のこと、追放されていた兄弟たちが共謀して、父を殴り殺し食べ尽くし、そうしてこの父の群族に終焉をもたらした。彼らは一致団結して、個々人には不可能であったことを成し遂げたのである(おそらく、新しい武器の使用といった文化の進展が、彼らに優越感を与えていたのであろう)。殺された者を食べ尽すことは、食人的未開人には自明である。暴力的な原文は、兄弟のそれぞれにとって羨望されるとともに畏怖される模範像であった。そこで彼ら食べ尽くすという行動によて父との同一化を成し遂げ、それぞれが父の強さの一部を自分のものにしたのであった。おそらく人類最初の祝祭であるトーテム饗宴は、この記念すべき犯罪行為の反復であり、追想式典なのであろうし、それとともに、社会編成、習俗的諸制限そして宗教などのあらゆるものが始まったのであろう。
フロイト全集〈12〉1912‐1913年―トーテムとタブー

もう一度、強調しておくが、柄谷さんが言っているように、こういった「思考」は、一種の抽象的な扱いを求めているわけである。
太古の狩猟採集民族は、定住しないことによって、ある「倫理」を生きていた。
しかし、である。
現に今の私たちは「定住」している。つまり、ある時点で、そういった「倫理」は別のものに変わった。しかし、変わった、という言葉は便利な言葉である。変わったと言われて、納得する人が、どれだけいるだろうか。

  • 変わったとは、「病気になった」ということではないのか!

つまり、「定住」は必然的に、なんらかの「病気」をもたらした(フロイトなら、精神病とか神経症とか、そういう診断をするのでしょう)。つまり、なんらかの「異常」を内包したのだ。
フロイトは、「タブー」を、

  • 兄弟同盟

の間の、均衡抑制的な精神構造を支えるなにか、として考えた。柄谷さんは、この原父殺しを、こういった兄弟同盟が絶えず、父殺しを続けることによって、部族社会の互酬的秩序の起源であり、この部族社会の国家への拡大や帝国への移行を防ぐ意味があった、と考える。
例えば、最近、石原元都知事が、君が代を替え歌にして歌うという話が話題になった。しかし、それは、石原自身が天皇を嫌っている、という文脈での話であったわけで、つまり、むしろ、この話がどういった文脈においてあったのか、が重要なのである。天皇は3・11以降、何度か、福島第一の原発について言及した。しかし、その言及はたんに、その事実を言ったというものではなく、多分に原発「批判」を含意したものであった。ところが、それ以降、東大系知識人によって、暗に、天皇を「愚弄し軽視」するかのような、発言が見うけられるようになった。つまり、東大系知識人は、東大原発の維持のために、天皇が「邪魔」であることを苛だちと共に表明するようになったのだ。石原も同様に原発天皇「より」好きなことを公言していることは、言うまでもない。
さて。東大系学閥は、BWR型原発の日本における存続のために、「原父殺し」、つまり、天皇制の廃止すらも実現するのだろうか? まあ、そこまでやるほど、彼らは天皇を「父親」として執着もしていないだけでなく、この程度の困難はなんともないと思うくらいには、いくらでも大衆を口先で、だまくらかせる、と思っている、ということなのでしょうね orz。