フラット革命と「統一教会」

今回のアニメ「ラブライブ・スーパースター」の最新話の第6話で、オニナッツが自分が「なにも夢がない」から「お金集め」をやっていたと主張したことについて、一部で、かなり強烈な

  • 反発

が起きている。作品は、その「なにも夢がない」ところから、主人公の澁谷かのんがオニナッツに「リエラのメンバーになってほしい」と誘うことによって、「実現可能な夢をもつ」ことになる、という

  • ハッピーエンド

として描かれたわけだけれど、この論理展開を「強引」ととらえた人が多かった、というわけだ。
なぜそうなったのかというと、早い話が「お金集めのなにが悪い」という反発だった、というわけだ。お金集めがしたいから、老後の心配がしたくないから、そう思って、素人がユーチューバーをやっている人も多くいるわけである。そして、そういった人たちからすると、オニナッツがリエラの練習風景を動画でアップするだけで、今まで、自分が集めたことのないような再生数やいいねの数や登録者数が増えているわけで、それへの「嫉妬」もあるのだろう。
こういった「嫉妬」には、分からない側面もなくはないと思うけれど、もしもそう言うなら、

  • なぜ「あなた」は、ユーチューバーとして「動画を公開すること<そのもの>」を、自らの「目的」と考えられないのか?

という疑いはあるわけだろう。ユーチューバーとして、再生数を稼ぐことで、それにともなう「集金」がもたらされようと、それが「目的=夢」と語ることへの「はじらい」はないのか、というわけだ。なぜ、動画を公開して、それに対する視聴者の「反応」を、たとえ一つでもしてもらえることを「目的」と思えないのか。
おそらく、この疑問に対しては、否定はしないんだと思う。そうじゃなくて、ここで「お金儲けが夢=目的なんだ」と言うことは、例えば、関西人なら、関西的な文化圏における

  • 普通の会話

なんだ、ということなんだと思うわけね。「あいさつ」が「儲かりまっか」の人たちにとって、このレベルの「当たり前のこと」を、わざわざ否定することの違和感を言っているだけなわけでしょw
大事なポイントは、なぜ、この作品で「お金儲け」が「悪者」にされたのか、なわけでしょ。そこには、言ってみれば、ある種の

があるわけですね。オニナッツは子供の頃から、いろいろな夢をもってきたが、それらは一切、

  • 否定

されてきた、とオニナッツは考えてきた、ということなんですね。つまり、アニメでは、スポーツ選手(運動能力なし)、勉強(テストの点数が悪い)、モデル(身長が低い)の三つの例しか挙げられていないけれど、この三という数字に意味がないわけ。そうじゃなくて、今まで

  • 全て

の夢がダメだった、ということが言いたいわけ。つまり、

  • 「全て」の「否定」=「お金」

という等式になっていたわけ。ここには、「お金」の「否定神学」が関係している。否定神学とは、キリスト教神学における

  • 神は「否定」によってしか「定義できない」

という主張に関係している。

  • 神は「人間ではない」
  • 神は「世界ではない」

こういった形で、私たちは神を「肯定」の形で定義できない。なぜなら、神とは私たちが想像しうる「全て」を超越している、ということと関係している。そもそも、私たちが想像しうるもので神を想像することは「偶像崇拝」なのであって、想像しうるという時点で、それが神で「ありえない」という形になっているわけだ。
では、お金はどうか? お金は「それ自体」に「価値はない」。しかし、お金は「きっと誰かが、お金に価値があると考えているはずだ」と思うなら、その「交換価値」を考えるとができる、という形式になっている。そもそも、「それ自体」に価値がないはずなのに、そうでありながら、いや、そうであるがゆえに、

  • 誰かが、それを「価値」があるはずだと考えているはずだ

と妄想をもったということで、なぜか価値がある、ということになっている。つまり、

という関係になっているわけで、否定によってしかお金を定義できないにもかかわらず、これが実質的には社会的な機能を果すわけであって、そこに、神とお金の相同性が語られることになる。
(ちなみに、「お金に価値がない」というパラドックスは、ある時点において、その「正体」を現す。それが、

  • 恐慌

であって、恐慌において、一切のお金の価値が本当になくなる。)
では、なぜ第5話が、ここまで「不穏」なものと受け取られたのかといえば、早い話が今、世間を騒がせている

の問題を想起させたからでしょう。統一教会は、韓国をアダム国家と定義して、日本をエヴァ国家と定義した。つまり、日本という国は、国そのものが「罪」をもっている国と定義した。日本はWW2によって、侵略国として「悪」を犯したのだから、日本人のそれ以降の子孫は全員「罪がある」と定義した。対して、韓国は、「神の国」と定義した。統一教会の「統一」とは、

  • 世界は「韓国」に「統一される」

という意味で定義されているのに、誰もそれを知らない。
統一教会は、

  • 世界中は一切の言語は「韓国語だけ」になる(ならなければならない)

と主張している! こうやって見ると、統一教会

と非常に似ているわけだ。皇国史観では、

  • 世界中は、天皇によって「支配」されなければならない

と考えた。つまり、「世界征服」を真剣に考えた。その延長で、日本は東アジアを「侵略」して、次第に、それを南アジアに延長させていって、最後はアメリカに宣戦布告して、戦争に負けて、皇国史観は占領軍によって強制的に廃止された。
統一教会は、日本は「悪の国」と考えて、日本人の「血」を「薄めなければならない」と考えた。そこから、合同結婚式で、日本人の女性信者を、韓国の貧乏な嫁のなり手のない田舎の男たちに「斡旋」をした。それによって、その日本人の女性信者の子供が半分は日本人じゃなくなることから、半分の罪が軽くなったと主張したわけだ。
統一教会は、ある種の

  • 階級システム

によって動かされている。まず、日本は「底辺=地獄」となっている。日本に住んでいる日本人の信者が救われるためには、莫大な「お金」を献金しなければならない。まず、信者は、家族、親戚を含めて、全員の資産を「告白」させられる。それによって、お金をもっている親戚がいる限り、「それを盗んでこい」と、死ぬまで、追い詰められる。そして、家族、親戚の全ての財産を「盗ん」で、教会に寄付させて、さらに、借金をギリギリまでやって、それも教会に寄付させて、もはや、絞りカスがなるなるまで、追い込んで、「廃人」になるまで、使い潰される。
なぜ統一教会が家族の絆をやたら主張するのかは、ここに理由がある。一人の信者さえ捕まえてしまえば、そいつを使って一族郎党の一切の財産は統一教会のものになる。なぜなら、彼らは家族や親戚で繋がっているため、その信者が彼らから盗んだとしても、その責任が教会に及ばないようにできるからだ。つまり、教会にとって、信者はカッコウの卵を別の鳥の巣の中に放つような戦略になっていて、日本人が家族を大事にして生きていることを逆手にとった、卑劣な、非倫理的な行為であるわけだ。
(この点においても、東浩紀先生の観光客の哲学における家族主義と、統一教会の教義は、非常に似すぎているわけだw)
対して、合同結婚式で、韓国の男と結婚した日本人の女性の信者は、実は、そこまでの「集金」で追い込まれないw なぜなら、韓国は「天国」だから、韓国人の男の妻になれて、韓国に住んでいるなら、そういった「罪」の追い込みの対象から「免除」された、と扱われるわけだ。つまり、

  • 韓国に合同結婚式で嫁げれば、「日本という地獄を脱出できる」

という形で、信者に「韓国の男と結婚したい」という「渇望=欲望」をかりたてる、システムになっているわけだ。
この、究極的な

にこそ、本質があるわけだけれど、安倍元首相は、まさに、そうであるからこそ、統一教会を「利用」し続けたわけでしょ。統一教会とは、日本では「勝共連合」を自称してきたわだけど、ある時期から、

わけ。なぜなら、統一教会は「朝鮮民族中心主義」だから。つまり、統一教会とは「朝鮮ナショナリズム」だから。安倍が政権についていたとき、よく、安倍が政治的な危機になると、北朝鮮がミサイルを打っていたことが「不思議」がられていたけれどw、安倍が統一協会に「依頼」をして、統一協会北朝鮮に「依頼」をすれば、こんなことは容易に「実現」されたわけで、見事に、このパラドックスの種明かしができてしまったわけだw
さて。ここで、突然ではあるが、東浩紀先生についてとりあげたい。私の過去のブログ記事を見てくると、最初に私が東先生を批判的にとりあげた記事として、以下がある。

martbm.hatenablog.com

ここで、東先生は

と予言しているわけ。つまり、世界から「複数の言語」はなくなり、世界のどこのコンビニでも同じものが売られ、一切の地域の「差異はなくなる」と言ったわけ。そして、彼のそれ以降の言論活動は、基本的にこの「未来予測」の補完のために行われてきた。
その結果、どうなったか?
それが、最近、暴露された、東浩紀先生と「統一協会」との関係だったわけでしょorz
まあ、分かりやすいよね。おそらく、東浩紀先生の言論を見る限り、彼が「おべっか」を使っているのは、電通の偉い人なんだと思う。その、ある特定の人との「つきあい」から、さまざまな人脈なり、仕事の依頼を受けて、今まで活動してきたのでしょう。しかし、そのことは、電通が安倍を特別な付き合い先と考えてきたことと、安倍が統一協会を特別な相手と考えてきたことから、矛盾しないわけね。そして、もしかしたら、統一協会から、東浩紀先生なり、彼の会社なりが、なんらかの金銭援助を受けてきたとしても不思議じゃない(それは、一切の右寄りのマスコミ言論人たち全てに言えるわけで、昔から、どこから、彼らの活動資金を得ているのかは不思議がられてきたわけだ)。
つまり、結論は以下だ:
東浩紀が「世界はスーパーフラット化する」と言うとき、そのときの意味は、

というとと同値だったってわけ。そして、東浩紀先生は、

  • 世界の言語は「韓国語だけ」になる

と主張している、という解釈とも同値だ、ということになる。つまり、東浩紀先生にとっては、それが「理想社会」だ、と主張している、ということと同値ということなわけで、そもそもこの「スーパーフラット化」の議論は、世界の「運命」の話をしていたんじゃなくて、

  • 東浩紀先生自身が、さまざまに「暗躍」して、統一協会が理想としている「社会=世界から韓国語以外の一切の言語を消滅される社会」の実現のために汗水たらして、がんばる

という宣言だった、というふうに解釈されるわけだけれどw、彼が韓国語を話せるわけがないわけで、おそらく、そこまで自分で考えたことはないんでしょうね...。