ガルクラ最終回

アニメ「ガールズバンドクライ」最終回。とうとう、放送されましたね。
まあ、一つだけはっきりと予想されていたのが、

  • 仁菜の「いじめ問題」

を描いてくるのだろう、だったわけだけど、ここが、たっぷりと時間をもって説明された。すでに、家族回で学校の校長が、仁菜を「いじめ」ていた側の生徒が罪を認めていることを認識している念書を父親に提出している。しかし、その一連の経緯は、ここまで詳(つまび)らかにされてこなかった。それが、今回説明されたわけだが、この「いじめ」をどう考えるのか、だと思うのだ。
仁菜がなぜ「いじめ」られたのか? それは、「いじめ」られていた生徒を「助けた」から、と説明されている。つまり、「いじめ」られていた生徒を「助け」ようとしたから、逆に、仁菜が「いじめ」られる側に回された。そして興味深いことに、それによって、その「いじめ」られていた生徒は、それ以降、「いじめ」られなくなる。
仁菜にとってこれは、ある程度予想されていたことだっただろう。しかし、彼女にとって「深刻」だったのはそれ以降に起きた事態だった。つまり、自分が助けた生徒が、仁菜に、その「いじめ」をしてくる生徒に

  • 謝ってくれ

と懇願してきたことだ。つまり、助けた生徒が「助かった」ことは嬉しいことだが、そのことが、

  • 仁菜が行った行動

を、その助けてもらった本人でさえ<評価していない>という事態だ。そして、それを同じように、仁菜の幼馴染のヒナまでが、仁菜の行動を謝罪した方がいい、と説得してくる。この状況を、仁菜は

  • 全員が、自分を「いじめ」る側に回った

と理解している。そして、不登校になり、結果として彼女は上京して、川崎で予備校に通って大学を目指すことになる。
この

  • 誰も自分の味方がいない

という状況、親も先生も幼馴染も、自分が助けた「いじめ」られっ子すら、「敵側」に回っている状態の四面楚歌から、逃げるように東京に行く。そして、桃香さんと出会う。
今回描かれた中で、さらに興味深かったのがヒナの描かれ方だっただろう。トゲトゲはダイダスとの対バンで2日目のトゲトゲのライブの方の集客が3分の1にも届かないことに悩んでいた。そこにヒナが現れる。彼女は仁菜に「頭を下げ」たら、2日の両方をダイダスにした「前座」に変えてあげる、と提案してくる。そうすることで、3分の1しか集客できないことで、赤字が見込まれる芸能事務所を「助けて」やる、と。
しかし話を聞くと、そもそもこの提案を頭を下げてお願いしてきたのは、トゲトゲの三浦さんだった、ということが分かる。
作品としては、これを仁菜が拒否するという形で提案される前の形でライブは行われ、対バンに負けたトゲトゲはその責任をとって事務所を辞めたわけだが、一環して描かれているのが

  • ヒナが<仁菜のことスキスキ>

だという姿だろう。これについては、フェスでのパフォーマンスから予想はされていたことだったが、予想以上に、ヒナはずっと、仁菜のことが気にかかっていた、ことが描かれる。ライブ前の変な絵とか、ライブをずっと後から見ている温かいその目線とか(それは桃香への、旧ダイダスの4人の温かい目線も同じだ)。
ヒナをどう考えたらいいのだろう? おそらくそれは、仁菜の過去の「いじめ」の経緯をトゲトゲのメンバーに語ったときの、智ちゃんが示した態度がよく説明してくれている。
仁菜の行動は正しいかもしれないが、生き方として「賢い」かといえばそうじゃない。この作品の欠点は、最後まで、仁菜を「いじめ」た生徒を

  • 描けなかった

ことにある。しかしそれには理由がある。この作品は仁菜のストーリーだ。仁菜の視点から描かれている。そうである限り、「いじめ」た生徒の「事情」はそこには見えてこない。
見えてこないが、それはある意味で、「ヒナの視点」から描かれている、とも言えるわけである。ヒナは一環して「仁菜は妥協すべき」という立場だ。そして、自分がそうやって説得をしながらも、それができない仁菜を、ずっと

  • 愛おしく眺めている

視座をずっと維持している。ヒナは別に、仁菜の行動を「愚か」だと思いながらも、どうしてもそう行動せずにいられない仁菜を遠くから見守るポジションを変えない。
まあそれは、ずっと描かれていた場面。仁菜とヒナが二人でイヤフォンの片側を片耳にさして音楽を聞いている場面。つまりはそれは、二人とも、ダイダスの桃香が、桃香の作る歌が好きだったことを意味している。つまり、ヒナも桃香から影響された存在として、桃香が示す「不器用」だけど自分の生き方を貫きとおそうとしているその歌詞に共感したもの同士として、どうしても、仁菜の生き方を心のどこかで愛おしく思い、礼賛し、応援せずにはいられないのだ...。