アンドレア・ドウォーキン『インターコース』

フェミニズムについて、私はそれほど詳しくない。しかし、女性の歴史として、人類史を見るとき、どうしても、避けられないのは、暴力、レイプであろう。近代化が、こういった蛮行の撲滅を目指していたと考えるなら、近代を否定することが、いかに反動的な所作であるかが分かるのではないか。一つだけ、はっきりしていることは、過去の美化が、そんななま易しく主張できることではない、ということでしょう。

兵士、戦略家、処女であったジャンヌ・ダルクは、ロレーヌ県の一教区にあるドムレミで、1412年頃(おそらく1月6日)に生まれた。彼女は文盲の一百姓であった。(中略)この文の著者は、彼女が「撲たれて血だらけだった」とも言っている。さらに、彼女の聴罪司祭も、「偉大なるイギリス国王が彼女の牢に入って来て、力づくで犯そうとしたと、ジャンヌ自身の口から聞いた。それだから、男の服を取り戻す決意をしたのだと、彼女は言った」と証言している。ミシュレの言うところによれば、イギリス国王は「大胆にも鎖につながれている娘を強姦しようと試みた。それに失敗すると、彼は彼女を殴りまくった」。彼女自身も、「監視兵はいつも私を組み敷いて、犯そうとしています」と述べている。(中略)男たち、または一人の男、またはイギリス国王が彼女を強姦してやろうと決意したとすれば、鎖につながれて女の服を着ていた間に彼女が強姦されなかったとは、まず考えられない。鎖につながれて女の服を着せられた彼女は、もはや肉体的に強くなく、もはや魔女ではなく、もはや兵士ではなかったが、一方、男たちは武装していたのだから。いかなる女も、ひどく殴られれば、強姦されやすくなる。彼女は重症の服装倒錯者ではなかったが、ほんの数日間男の服装を奪われただけで、耐えられなくなったのである。彼女は強姦され、殴られ、もはや死ぬことも意に介さなくなっていた--この無関心は強姦の結果であって、服装倒錯の結果ではない。

インターコース―性的行為の政治学

インターコース―性的行為の政治学