2020-01-20から1日間の記事一覧

私は実在論がなにか分かっていない:補足1「モデル論」

上記で終わりにするつもりだったが、もっと素朴な、分かりやすい違和感を、端的に書いておきたくなった。そういった視点でネットを眺めていると、非常に分かりやすくまとめてくれているブログ記事があった。 さて。この一連の論考で、私は植原先生の「実在論…

私は実在論がなにか分かっていない:おわりに「科学的実在論」

まあ、これで終わりにしたいが、私は「実在論」の問題を議論すると言っておきながら、科学的実在論にほとんど言及しなかった。それは、上記の植原先生の本でもほとんど言及されていないから、というのもあるが、もっと言えば、この例は、結局のところ 科学 …

私は実在論がなにか分かっていない:第四章「実践種」

なぜ科学は、簡単に植原先生の「自然種」の提案に賛成できないのか? それには、具体的な「判例」があったからなのだ。 一九九〇年代の前半になされた、記憶の本性と被暗示性の影響力に関する科学的な発見によって、多重人格障害に関する疑念が、とりわけ習…

私は実在論がなにか分かっていない:第三章「普遍論争」

実は、第二章で私はこの本の結論のようなものを書いてしまった。つまり、上記の植原先生の本は、基本的にクワインの自然主義の 延長 にある議論を志向している。ということは何を意味しているかというと、植原先生が言っていることは、完全に 科学の説明 と…

私は実在論がなにか分かっていない:第二章「自然主義」

しかし、である。植原先生がなぜそういった立場を選択するのかについては、まったく、説得的な議論をしていないわけではない。それが、クワインに代表される 自然主義 と一般に呼ばれている議論を背景としていることは説明されている。 つまり、クワインの「…

私は実在論がなにか分かっていない:第一章「観念論」

観念論とはなんだろう、と思うかもしれない。しかし、哲学史においては、一般に経験論者の代表とされているヒュームが、ほとんど最初に明確に定義しているわけである。 ヒュームにおいては概念的側面は感覚的印象と物体(body)とを直接同一視することで解決…

私は実在論がなにか分かっていない:はじめに「実在ってなあに?」

ここのところ、本屋の、分析哲学関連や科学哲学関連の本棚を見ると、(特に日本人学者による) 実在論 存在論 形而上学 といった新刊の本が、のきなみ並んでいる。そして、その代表的なものが、 植原亮『実在論と知識の自然化』 実在論と知識の自然化: 自然…