2019-09-01から1ヶ月間の記事一覧

日本勝利

いやあ。ラグビーW杯、勝ちましたね、アイルランドに。試合前に、 VIDEO NEWS » 【5金スペシャル】ラグビーW杯を100倍楽しむために を見てたので、いろいろ楽しめましたね。試合全体で、基本的にアイルランドは彼らのプレーができていなかったのではない…

「とじとも」のサポートメンバー

アニメ「刀使ノ巫女」の、スマホゲーム「とじとも」をプレイしているのが全国でどれくらいいるのかは知らないが、今「共闘戦」という、戦闘ゲームがこのゲーム内で開催されている。 まあ、そのゲームそのものはどうでもいいのだが、興味深いのが、この戦闘ゲ…

科学に「限界」はあるか?

私たちは、科学は無限に「進歩する」と思っている。それは、毎年、科学の論文が書かれ、次々と新しい「仮説」が発表されているのだから、どんどん私たちは「真実」に近づいているのだから、と思うわけである。 しかし、である。 まず、これと似ているが、少…

適者生存はトートロジーか?

うーん。 ダニエル・C・デネットの最新作『心の進化を解明する』の翻訳者の、木島泰三さんがツイッターで以下のような 適者生存「トートロジー」説 への反論を行っている(まあ、そういった発言をしたのは、けっこう前のようだが)。 5)「生存競争」と「(…

アニメ「まちカドまぞく」の問題

アニメ「まちカドまぞく」が評判だ。漫画雑誌「きらら」連載の、いつもの感じの4コマのギャク漫画が原作だが、まず作品のおおまかなあらすじから確認しておきたい。 主人公の優子は、ある日、目が覚めたら、頭に角が生えていて、おまけにシッポまで生えてい…

変なリベラル

私たちは「リベラル」とは正義のことだと思っていた(実際、『正義論』を書いたのはジョン・ロールズだった)。ところが、「リベラル」を字義通りに受け取って、 なにをやってもいい(なにを言ってもいい) と受けとる人たちが現れた。すると、 悪をやっても…

山下和也『カントとオートポイエーシス』

オートポイエーシス論については、話には聞いたことはあるが、なんだか難しそうなことを言っていて、ようするに、ホメオスタシスとか、サイバネティックスと同じことを言っているんでしょ、といったくらいの印象の人も多いのではないか。 そこで、まず、そも…

人の自由についての法則

カントの『純粋理性批判』という本は、分厚いだけでなく、難解で読みにくい文体で書かれている。これを読み通すという行為は、普段、本を読むことに親しんでいる人でも、想像を超えて大変な作業だろうと思われる。 しかし、である。 素朴に思うんだが、この…

未来の人のパラドックス

ここで、未来の人に関する、あるパラドックスについて考えてみよう。 現代の人が未来の人の「ため」に、なにかの行動をする。しかし、未来の「人」がなぜ、その時代にそこにいるのか? それは、その未来の人から見た過去の人たちが「そう」であってくれたか…

ジョージ・マッサー『宇宙の果てまで離れていても、つながっている』

そもそも、なぜアインシュタインは、あれほど非局所性の 非合理性 にこだわったのだろう? それにはまず、科学の長い歴史を振り返ってみる必要がある。 知的活動者としての彼らの祖先、古代ギリシア人は、宇宙を巨大なビリヤードのようなものとして描こうと…

文系学者が守ろうとする「実在論」と「多世界解釈」

文系学者が守りたいのは、おそらく 宗教 なのだろう。もっと言えば、その宗教が信仰する 神の存在 だ。これを完全にするのが 人間の魂の存在 だ。これさえ証明できれば、「信仰を守れる」のだから、文系学者にとってこれは、譲れないのだ。 さて。どういうっ…

ホモ・リメンバリング

有名な、プラトンのパラドックスはこうだ。人間は知っていることしか知らない。その意味は、もしもそれを知らないなら、それを知ることはできないから。 そこから彼の「イデア論」が生まれていると言ってもいい。 このパラドックスは本質的である。それはこ…

「表現の自由」の定義

もしも、「表現の自由」が なにを言ってもいい(どんな表現をしてもいい) ということなら、暴力だって、一つの「表現」と考えられなくもないのだから やっていい ということになるだろう。しかし、前回も書いたように、憲法第21条の英語版では、 forms of…

映画「ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝」について

まあ、あまり不謹慎なことを書くのもどうかと思うわけだが、金曜日に公開され、土日なんとか見たいなと思っていて、ネットで席の予約をしようとホームページを眺めていたら、土曜から日曜の夕方までびっしりで、前列のスクリーンの目の前しか空いていない。…

司馬遼太郎史観

そもそも、司馬遼太郎に「史観」なんてあるのだろうか? これはもっともな主張であるが、ここで、そう呼んでいるのは、実際の司馬遼太郎のことというより、 日露戦争までの日本は「素晴しい」が、それ以降(つまり、WW2で)日本は堕落した といった、ふわ…

世界の意味の終わり

伊藤計劃の遺作となった『ハーモニー』は、後半、奇妙な展開を見せる。それは、人類が 意識 がなくなる、と言うのだ。主人公のトァンは、「意識のない」世界を目指すミァハに抵抗して話は進むのだが、最終的には、この世界は「意識のない」世界になる。 とこ…

「表現の自由」は矛盾しているか?

表現の自由を「なにを言ってもいい」と同値だと考えると、次のような困った例が生まれてしまう。 差別発言は「表現の自由」から認められなければならない まず、これを考える前に、三権分立の近代国家がどのように作られているかを確認しておこう。 まず、近…

文系と理系の違い

文系と理系の違いとは、そもそも、日本の教育カリキュラムや受験学科の区別の関係で、日本の教育界が便利に使ってきた「意味」しかなく、本質的には無駄な区別だろう。 それは、理系を「自然」や「数学」の学問を考えようとする態度が、いかに筋が悪いかを意…

タカヒロ『鷲尾須美は勇者である』

私が今さらながら、アニメ「ゆゆゆ」について、改めて考えてみようと思ったのは、以下のニコニコ動画を見て、ここで、非常に重要なキャラとして、 三ノ輪銀(みのわぎん) のことに言及されていたからなのだが、 『刀使ノ巫女 刻みし一閃の燈火』まだまだま…

楽しい「差別」

東浩紀先生は、自分がなぜ大学教授を止めたのかを以下のように説明する。 抽象的にひとこと。「教室内も街路も同じ公共空間だ、政治家の教室内の発言への介入を歓迎する」という考え方は、個別の運動には好都合でも、原理的にはきわめて危険だと古い世代のぼ…

「パブリックアートの矛盾」についての誤解

以下の方のブログの記事は、「「パブリックアートの矛盾」という詭弁」というタイトルになっていながら、ここで問題にしている、宮台真司が指摘する意味での「パブリックアートの矛盾」を否定していない。 どうも宮台さんはパブリックアートの概念を,政府や…