日本批評

戸田山和久「哲学の側から Let'S 概念工学!」

掲題は、『<概念工学>宣言』という本の第一章となっていて、また、この本は、タイトルにあるように、「概念工学」という戸田山先生による造語による、 新しい学問 の誕生を宣言した本である。ここではあくまでも、この概念工学という用語の、戸田山先生の …

望月俊孝「書評・冨田恭彦『カント哲学の奇妙な歪み----『純粋理性批判』を読む」』

私はあまり、哲学畑に詳しいわけではないので、こうやって質問してしまうのだが、以下の、一連の冨田恭彦氏の最近の カント批判 をどう思われているのであろうか? 観念説の謎解き―ロックとバークリをめぐる誤読の論理 ローティ: 連帯と自己超克の思想 (筑摩…

松本卓也『創造と狂気の歴史』

掲題の本は、以下のエピソードの紹介から始まる。 かつて米国のアップル社の最高経営責任者であったスティーヴ・ジョブズ(一九五五 - 二〇一一年)が「師」と仰いだ起業家ノーラン・ブッシュネル(一九四三年生)は、ビジネスの世界において新たな創造を可…

中塚明『日本人の明治観をただす』

つらつらとネットを見ていたら、以下のようなエッセイの記事を見かけた。ようするに、親日パラオと韓国を比較して、なぜこんなに違っているのか、ということを言いたいようなのだが、そのエッセイの最後の方は以下のように、しめられている: 朝鮮半島も未開…

柄谷行人『世界史の実験』

ここのところ、高熱に悩まされていて、ひとまずその原因も分かり、最近はとりあえずの、風邪薬の一つの解熱剤を年齢の範囲の一般的な大めの量を飲んでなんとかやりすごしているのだが、こういう状態になってみて、よくよく分かることは、結局、人は「体力」…

木島泰三「自由意志と刑罰の未来」

最近、ダークウェブ・アンダーグラウンドという本で、オルタナ右翼が、人間の「生物学的多様性」を 利用 して、自分たちの「人種差別政策」を 正当化 した議論を展開していることに、そういった議論はミスリーディングだ、と反論を見かける。ようするに、こ…

佐藤文隆『佐藤文隆先生の量子論』

確か、去年の年末に、IBMが、一般企業向けに、量子コンピュータを売り出す、とアナンスが出ていた。 しかし、素朴に、なんで、人々はこれに反応しないのかな、と不思議だった。もちろん、以下のような意見があることは分かっている。 今回のIBMの量子コン…

佐藤文隆『量子力学は世界を記述できるか』

よく、SF系の人たちって、量子力学の「コペンハーゲン解釈」に対する オールタナティブ としての「多世界解釈」を、まるで「当たり前」のように語る人が多いような印象を受けるのだが、これって、なんの「慣習」なんだろう、と時々、どうしても思ってしま…

戸田山和久「心は(どんな)コンピュータなのか」

私が「生得的」という表現に違和感を覚えたのは、もちろん、生物進化学に関係してであったが、しかし、その違和感は、行動経済学や進化心理学という形で、ほとんどの 文系 の分野を「汚染」しているんだな、ということを知ったとき、驚愕を覚えたわけだが、…

絓秀実『「超」言葉狩り宣言』

この、1994年の初版の本について語ろうと思うのは、ここでとりあげられている問題が、むしろ 現在 論じられている、「言論の自由」の 原点 のような議論が見られるからだ。そのことは、別に「偶然」ではない。なぜなら、こういった「言論の自由」を主張…

矢嶋直規「カント道徳哲学における定言命法の意義」

この「哲学若手研究者フォーラム」第21号を見ると、最近亡くなった大庭健さんの論文と(というか、よく知らないが、これは、彼が死ぬ前の、ほとんど最後のジャーナリスティックな「論争」なんじゃないか?)、彼の論敵でもあった、永井均さんの論文が載っ…

戸田山和久『知識の哲学』

前回も少し書いたが、いわゆる「哲学」がどうのこうのと言っている人たちは、結局のところ 科学 や 数学 をなんだ、と思っているのか、ということが私の考えていることであって、つまり、科学や数学は なぜここまで「成功」しているのか? ということを問う…

須藤靖・伊勢田哲治『科学を語るとはどういうことか』

掲題の本は、ものすごい本である。というのは、物理学者の須藤先生の「つっこみ」が恐しいまでに、徹底的だからだ。そういう意味で、この本は、「科学哲学」が なにをやっているのか? を考えるとき、非常にいい「橋頭堡」となる。 以下では、科学的反実在論…

永井均『私・今・そして神』

掲題の著者は、そもそも、どのような「立場」から議論しているのかを踏まえない限り、私たちは彼の議論にコミットメントできない。ここでは、それについて少し考察してみよう。 哲学的疑問は理解されない。哲学はつねに無力であり、力があるのは科学や常識や…

中山康雄『示される自己』

(最初から、なかなか掲題の本の話に入らなくて、すみません。) 私はあまり、永井均先生の本に、いい印象をもっていない。それは、 「魂」に対する態度作者: 永井均出版社/メーカー: 勁草書房発売日: 1991/02/01メディア: 単行本購入: 4人 クリック: 14回こ…

大貫恵美子『ねじ曲げられた桜』

けっこう最近の記事だが、ブロゴスというキュレーションサイトで、(まあ色調としては「嫌韓」と分類していいと思うがw)、二つの韓国における「桜(さくら)」の記事が載っていた。 まあ、両方とも韓国の済州の王桜と、日本のソメイヨシノが遺伝子解析によ…

小坂井敏晶『神の亡霊』

科学にはある欺瞞がある。それは「普遍性」とでも呼ばれる性質に関係していて、もっと言えば「真実」のことだ。科学はこの「真実」に 関係している と考えられている。 しかし問題は、実際に科学が「真実」に関係あるのかないのか、にあるわけではない。これ…

松本俊吉『進化という謎』

いわゆる、社会生物学論争の「決着」ということで、いろいろな大衆向けの本を読んでいると、そもそも、この論争の「結果」というものが、まったく反対に人口に膾炙してしまっているのではないのか、といった疑問を持たずにはいられなくなる。 ようするに、 …

小島毅『志士から英霊へ』

私は第二次ベビーブーマー世代になるのだと思うのだが、この世代にとって、この日本とはなんだったのか、なんていうことを考えてみたりする。そうしたとき、例えば 象徴天皇制 がある。日本は、象徴天皇制を採用している。ところが、ここでいろいろとひっか…

中山康雄『パラダイム論を超えて』

私がいつも不思議に思うのは、人々があれだけ「進化論」について重要視しているのにも関わらず、自らが「行う」ことに対しては、その進化論を適用しなければならないとは夢にも思っていない、というところにある。まさに、マルクスがすべての労働者を「資本…

中山康雄『現代唯名論の構築』

ここでは少し論点を整理してみたい。 中世のスコラ哲学において、普遍論争というものがあった。そこにおいては、「実在論」に対立するものは「唯名論」であった。ところが、現代において、 実在論 と呼ばれているのは、分析哲学や科学哲学の文脈における「科…

大澤真幸・永井均『今という驚きを考えたことがありますか』

大澤はそもそも「時間が存在しない」という意味が分からない、と言う。 しかし、時間が実在しないとはどういうことなのか、誰にもわからない。実在しているということとしていないことということでは、何が違うのか。説明できる人は誰もいない。そもそも、時…

中井久夫「いじめの政治学」

(ちなみに、掲題のエッセイは柄谷行人が以下で書評をしている:(書評)『中井久夫集6 1996-1998 いじめの政治学』 中井久夫〈著〉:朝日新聞デジタル)。 巷では、日大アメフト部の今回の事件は 日本版 MeToo なのではないか、と言う人がいるよ…

蔵田伸雄「同じ山に異なる側から登る」

一般に功利主義と言ったとき、以下の三つの「主義」を合わせたものとして解釈されている: 幸福主義(または快楽主義) 最大化原理(または総和主義) 帰結主義 しかし、上の二つというのは、なんというか「道徳」とは関係ないように私には思われる。その意…

三中信宏『系統樹思考の世界』

私がどうしても理解できないのは、福島県の「甲状腺がん」の問題にしても、「HPVワクチン」の問題にしても。なぜこういった「対立」がいっこうに収束せず、ますます鋭くなるばかりであるのに、いわゆる 知識人 がそれに対して一定の「見識」を示さないの…

石川求『カントと無限判断の世界』

ここのところ、東浩紀先生の本について論じていなかったが、私は一つ、以前から気になっていたことがあった。それは、処女作の『存在論的、郵便的』においてすでに登場し、最新作の『観光客の哲学』においても登場する 否定神学 という言葉であった。特に、…

山川仁『孤独なバークリ』

前回も書いたが、例えば、最近出版されたカンタン・メイヤスーの『有限性の後で』の前半において、カント、いや。カント以上に、バークリーの 観念論 が「仮想敵」として記述されていたことが思い出されるわけで、ようするに、なんというか分析哲学というか…

三中信宏『分類思考の世界』

私がこの著者に興味をもったのはつい最近で、それは前回紹介した、植原亮さんの『実在論と知識の自然化』に関連して、ネットで、自らを「唯名論者」として語っていることに興味をもったからであった。 そして、実際に掲題の本を読んで、私が植原さんや戸田山…

植原亮『実在論と知識の自然化』

いつからは分からないが、いわゆる哲学系の本屋の書棚を見に行くと、 分析哲学 の分野、まあ、それと隣接する形で、「科学哲学」というカテゴリーもあるわけだが、そういった系列の特に日本人の研究者の書く本に、いわゆる 実在論系 とでも呼んだらいいのか…

伊勢田哲治『疑似科学と科学の哲学』

この本は、けっこう前の本でありながら、数ある科学哲学の本の中でも、ある点において、非常に興味深い特徴をもっている。つまり、科学を 疑似科学 との「差異」において考えようとしている、ということが特徴としてある。なぜ、この点が興味深いのか? それ…