海外批評

クリストファー・ボーム『モラルの起源』

映画「悪の教典」を映画館に見に行ったとき、特に若い、高校生くらいの男女を問わず、非常に多くが見に来ていたことに私は、意外な印象を受けたことを覚えている。もちろん、それなりの「噂」が学校内にあってそういうことになったのであろうが、そのことは…

ジョセフ・ヒース『啓蒙思想2.0』

例えば、17世紀、18世紀において考えられたような「啓蒙」の時代において、想定されたような「理性」による、理想社会の実現が、なぜ現在において、うまくいっていないのか? それは、カントの純粋理性批判が展望したような、理性による、人類の理想社会…

ジョージ・サイモン『他人を支配したがる人たち』

よく、認知的不協和という心理学の言葉があり、他方において、この言葉への批判もある。というのは、結局のところ何が認知的不協和なのかを厳密に分類する 立場 とはなんなのか、という問題にとらわれるからである。 しかし、こういった批判をする人が誤解を…

リチャード・ローティ『偶然性・アイロニー・連帯』

多くの人は、そもそも、リチャード・ローティという人が、どういうことを言っていた人なのかを知らない。 例えば、掲題の本にしても、最初の方から、さかんにアラン・ブルームについての言及がある。私はこれがなんなのかが最初は分からなかった。しかし、考…

ジョナサン・ハイト『社会はなぜ左と右にわかれるのか』

マイケル・サンデルを始めとして、多くの哲学者が、近年、あらためてコミュニタリアニズムであったり、徳倫理といったものに言及を始めていることは、一つの哲学の転換点を示しているように思われる。 例えば、ルソーの社会契約にしても、ロールズの正義論に…

R・ハーストハウス『徳倫理学について』

ある人の「徳」というものを考えることには、どういった意味があるのだろうか。 例えば、ある人がある行為をしたとする。その場合、その「行為」と、その人の「徳」について、なんらかの関係を考えることは可能であろうか。もちろん、常識的には、これが可能…

ポール・ヴァレリー『精神の危機』

今さらポール・ヴァレリーの重要さを強調する必要はないと思うが、前回、在特会のような「造反有理」運動であり、「錦の御旗」運動の、その「主観的」に幻想される何かについて考えていたとき、このヴァレリーのエッセイにおいて、すでに、 ドイツ脅威論 つ…

A・R・ホックシールド『管理される心』

労働者は、賃金を受けとることによって、仕事をする。つまり、命令に従う。しかしこの場合、たんにその「行為」にのみ注目するのは正しくない、と掲題の著者は指摘する。つまり、この場合に、 何を売っているのか? について、もう少し、踏み込んで考える必…

ピーター・シンガー『私たちはどう生きるべきか』

私はときどき、近代皇国イデオロギーというのは、本当に存在するのか、と考えることがある。もちろん、当時も今も、神道的に、大変に思い詰めて、宗教的な生活をしている人たちがいるだろうことを疑っているわけではない。 そうではなく、いわゆる、国家中枢…

アーサー・C・ダント『哲学者としてのニーチェ』

私たちが思っている以上に、カントやニーチェは、私たちの今の「常識」い近い。むしろ、そのことが理解されていないことが、さまざまなことに対する認識の齟齬生んでいる、と言えるのかもしれない。 しかし、そういったふうに言った場合に、しかし、やっぱり…

フィリッパ・フット『人間にとって善とは何か』

前回述べたように、人間は二つの層によって生きている。 意志(コントロール)=自由=計算の層(第一階層) メタ道徳(=徳=ルール)層(第二階層) 前者は私たちが普通の意味において使っている「意識」になる。後者は、どこかグレーな部分を指していて、…

エリック・ブライシュ『ヘイトスピーチ』

酒鬼薔薇事件のとき、私たちを恐怖させたのは、この犯人の子供が、実際に、殺人を行う前に、すでに、多くの猫などの動物に対して、同じことをやっていたことであった。 同じことは、オウム真理教についてもそうであった。オウムも、地下鉄サリン事件を起こす…

『ドイツ脱原発倫理委員会報告』

細川元総理と、(私はあまり詳しくないが)三宅洋平さんとの対談 は、私はあまり細川さんを詳しく知らない人には、その人となりの分かる、たいへん、いい対談だったのではないかと思った。 ある程度上の世代は、細川さんを、日本新党の党首であり、総理大臣…

アレクサンドル・コジェーブ『ヘーゲル読解入門』

(まだ、前半を読んでいるだけだが、いったんまとめる。) ヘーゲルの精神現象学は、もし、本を手にとって読もうとしたことがある人なら分かると思うが、はっきり言って、人が読める本ではない。どうしてこういうことになったのかは、なかなか、想像のおよば…

ケント・グリーンフィールド『<選択>の神話』

私たちは日々、何かを選択して生きている。それを「自由」と言ったりもする。しかしこの、「選択」と 自己責任 という言葉の間には、なにかしら、私たちを混乱させる相性の悪さを感じなくはない。 なぜ、この二つは、私たちに後味の悪い感覚をもたらすのか。…

ダロン・アセモグル『国家はなぜ衰退するのか』

(ジェイムズ・A・ロビンソンとの共著。) この地球上には、すでに、国家がある。無数にある。その国家のうち、幾つかの国家の国民は「裕福」である。それらを、私たちは、戦後、「先進国」と呼んできた。アメリカや日本や北欧の国々。そして、最近は、ブリ…

レオ・シュトラウス『自然権と歴史』

稲葉さんのリベラリズム本は、永井均の「この私」論から始まっているが、その内容は、言いえて、「不気味」な分析より始まっている。稲葉さんは、永井の語る「この私」についての陳述を、その永井という固有名を稲葉と置き換えることによって、「自分が陳述…

リチャード・ウォーリン『ハイデガーの子どもたち』

岩波ホールでやっていた映画「ハンナ・アーレント」を見た印象は、この映画の監督が、結局のところ、何を描きたかったのか、という疑問であった。 映画の全体のストーリーの主題として描かれているのは、彼女の「エルサレルのアイヒマン」という著作が書かれ…

ハンナ・アーレント『カント政治哲学講義録』

ハンナ・アーレントが『精神の生活』の第三巻「判断」を、生きている間に出版できなかったことは知られている。しかし、もしそれが書かれていた場合に、どういった内容になっていたのかを、彼女の講義録などから伺い見ようとする目的で編纂されたのが、この…

モーリス・パンゲ『自死の日本史』

3・11以前から、日本の自殺者が、3万人を前後し、その多さにおいて、問題視されてきたわけだが、3・11以降、NGOや政府の取り組みが効いてきたのだろうか、とにかくも、2012年は、3万人を切り、少し明るい傾向を示し始めている。 他方において…

ハンナ・アレント『人間の条件』

なぜ、ハンナ・アレントが重要なのか。それは、彼女が、ユダヤ人として、ナチス・ドイツであり、「全体主義」であり、「大衆社会」を考えたから、と言うことができる。 つまり、ある意味で、彼女が「戦後世界」の枠組みを作ったのである。 つまり、どういう…

フィリップ・スコフィールド『ベンサム 功利主義入門』

正直なところ、「功利主義」とはなんなのか、という命題によってなにかを考えようという態度がうまくいかないのかもしれない、と思わなくはない。 というのは、むしろ「功利主義」を言うことによって、「なにかを言いたい」人の動機を考慮していないからであ…

マット・リドレー『繁栄』

長々と書かれているこの本は、一体、何が言いたいのか? あえて楽観主義者でいようではないか。 これが、この本の最後の言葉である。つまり、著者は世間に並いる、レスター・ブラウンなどの「悲観論者」たちに対して、自分は、その逆ばり、むしろ、人類の未…

ウェンディ・ブラウン『寛容の帝国』

私は、リベラリズムという言葉に、ある種の、「不快」な感情をもっている。それは、ありていに言って、自分の中の「保守的」な部分がそうさせていると言ってもいい。いずれにしろ、リベラリズムという言葉を使った途端に、なにか、私たちにとって最も「重要…

ダニエル・J・ソローヴ『プライバシーの新理論』

私にとって、プライバシー問題というのは、一時期、特に、フェイスブックが広がり始めた頃、一部の有識者の間で、 パブリック であることの「必然」化が、吹聴されたことへの違和感から始まっている。 彼らの主張は、人々がフェイスブックを使い、自分のあら…

ジョセフ・ヒース『ルールに従う』

そもそも、哲学に善悪はない、という命題は正しいのだろうか? こんなふうに言うとナイーブに聞こえるかもしれない。それは、物理学に善悪はあるのか、この宇宙に善悪はあるのか、物質に善悪があるのか、といったように、このセカイの カラクリ が「善悪」と…

イーヴァル・エクランド『数学は最善世界の夢を見るか?』

いわゆる「ガリレオ革命」と呼ばれていることがある。知っている人はどれくらいいるのだろうか。 私たちはよく「今日は忙しくて、一日が短く感じた」と言うことがある。また逆に、「今日は暇で、一日が長く感じた」と言うことがある。 ここで問題は、「では…

アンドリュー・ゾッリ『レジリエンス』

そもそも、組織は、永遠に存続することを目指すべきなのだろうか? もちろん、ここで、「永遠」という言葉を使ったことはミスリードであろう。 人間は「永遠」に子孫を残し続けるだろうか? なぜ、こういった問いはミスリードなのか。 自然数を考えてみよう…

ロバート・D・パットナム『孤独なボウリング』

マキャベリやスピノザが、「統治の技術」として、国王が国民に、 真実を言わない 嘘を言う ことを、「手段」として肯定したとき、それは、むしろ、マキャベリやスピノザなどの当時の知識人たち自身が、「本当のこと」を言うことが、自分の「危険」と関係して…

ジェイン・ジェイコブズ『発展する地域 衰退する地域』

なぜ安倍首相はリフレ政策を、ここまでのところ推進できているのであろうか。以前にも言ったように、リフレ政策は、「中道左派」の政策である。それを、彼が忠実に推進する「いわれ」もないのではないか。 おそらく、そこには、さまざまな「バランス」がある…