2012-01-01から1年間の記事一覧

リチャード・セイラー『実践行動経済学』

(キャス・サンスティーンとの共著。) ある人Aが、別のある人Bに、なにかをしてあげる(行為C)、とする。この場合に、ある人Aが、その行為Cを、 なんの見返りも期待せず、純粋に、「ある人Bのため」を思って、行った と判断できる場合に、「パターナ…

日本最大の謎

時々、日本人にとっての究極の「謎」ってなにかな、と考えることがあるが、それは間違いなく、明治維新になるのではないか。 なぜ、江戸幕府は崩壊したのか。いや。崩壊するのはいいのである。なぜ、それが、ほとんど「抵抗」もなく、レジームチェンジを受け…

與那覇潤『「日本史」の終わり』

(池田信夫との対談。) 私たちは「なぜ」と問うことに、疑問をもっていない。しかし、「なぜ」と問うた時点で、それは、歴史を語ることになる。 それは、つまり、未来に対して、現在と過去は、まったく別のカテゴリーだということである。つまり、現在と過…

文化の隔世遺伝

柄谷さんは、一時期、よく「他者」という言葉を使った。その多くは、文芸批評の文脈であったように思うが、普通に考えると、この言葉は、ちょっとロマンティックに聞こえる。つまり、ちょっと、神秘的な印象を受ける。 なにか、よく分からない存在、自分が出…

女性の「偶像視」への、ある疑問

私は、ときどき、男性の女性を、「偶像視」する姿勢に疑問をもつことがある。 もちろん、男と女から、次の世代が生まれるわけであるし、家族とは、そういうものなのだから、「そうであってほしい」と思うことは、普通なのだろう。 しかし、言うまでもなく、…

ETV特集「永山則夫 100時間の告白」

NHK教育での、ETV特集についての、永山則夫のインタビューは、非常に興味深いものであった。 逮捕され、精神鑑定書を作ることになり、その医師の方は、当時としては、とても独特の手法を行う。つまり、「彼の言葉」によって、自らを語らせる中に、その真実を…

市民と国民

以下のサイトを見ると、なるほど、市民と国民と人民には、いろいろな分類があるんだな、ということが分かる。 では、ここで、カール・シュミットにとって、市民と国民とは、なんだったのか、を考えてみたい。 市民とは、古代ギリシアにおける、アテネ市民と…

中二病ルネッサンス

京アニの最新作のアニメ「中二病でも恋がしたい!」の第一回を見て、私は考えさせられてしまった。 いつも思うが、京アニが描く学校の風景は、どこか、田舎だ。田舎というのは、なんというか、一言で言うと、 なにもない。 いや。正確に言えば、なにもないわ…

高橋秀実『「弱くても勝てます」』

私もこうやって、ただの、アラフォーの、おっさんになってみて思うことは、子供の頃、自分がどうだったのか、そのころ何を考えていたのか、ということが、実際のところ、その多くは、今になってみると、どうでもよかったな、という感じであろうか。 正直、こ…

古賀敬太『シュミット・ルネッサンス』

カール・シュミットが、国家のカテゴリーを「敵味方概念」に求めたことは、今さら言うまでもないことであるが、しかし、考えてみると、このことは、ある種のパラドックスになっている。 というのは、もし国家が「敵味方」のカテゴリーによって定義されるなら…

否定

論理学で、「否定」というプレフィックスがある。つまり、「なになにではない」という言い方であるが、よく考えてみると。否定というのは不思議だ。なぜなら、なぜ否定というプレフィックスを使うのかが不思議なのだ。 もし、ある人が、なにかを伝えたいなら…

渡辺幹雄『リチャード・ローティ=ポストモダンの魔術師』

リチャード・ローティの、Wikipedia の項目を見ると、以下のように書かれている。 プラグマティズムの立場から近代哲学の再検討を通じて「哲学の終焉」を論じた。 プラグマティズムの代表者ジョン・デューイや、トーマス・クーン、ルートヴィヒ・ウィトゲン…

松本三和夫『構造災』

(掲題の本は、私が、3・11以降、いろいろ読んできた原発問題の本の中で、比較的、技術寄りのものでありながら、より社会全体を含んだ、 統一的・俯瞰的 な視点で、この問題を検討している、良質な議論に出会えた、という印象を持っている。) 明治以降の…

東アジアの朝貢秩序

福沢諭吉がなぜ、日本の江戸時代的な儒教道徳より、西欧の「技術」の輸入を重要視したかは、そもそもの、日本の明治から始まる「開国」において、 一等国 になることを、重要視したから、である。国家には、一等国と二等国と三等国があって、日本は、一等国…

プレ近代の先進国

月刊誌での、石原都知事の発言は、つまりは、戦争を「やれ」と言っているのと、同値だろう。 石原 政府がはっきりと、「そっちがその気なら、こっちもやってやるぞ」と言えばいい。「寄らば切るぞ」の精神ですよ。 安倍晋三君が総理の時に、シナとのガス田問…

平川克美『小商いのすすめ』

ようするに、マクロ経済学とは、金融政策や税政策、国際貿易政策など、国家が行うお金に関係する政策、の理論的根拠として、 統計学 を利用しよう、というアイデアではないか、と言えると思われる。しかし、言うまでもなく、統計学とは、たんに、数学の理論…

朝井リョウ『桐島、部活やめるってよ』

私がここで、この小説について書こうと思ったのは、もちろん、今上映している映画を見たからであるが、その「いきさつ」は、少し、いりくんでいる。 例えば、私が以前、このブログでもとりあげさせてもらった、中森明夫さんのツイッターでの批評 が話題とな…

教育という強制

いじめをなくす一番簡単な方法は、「学校に行かなくていい」としてしまうことだ。 多くの人が普通に学校に行かなくなる。 いや。 正確に言うと、 ある教科の授業だけ、出席しない。 場合によっては、別の学校の授業に出席することもある。 授業に欠席した場…

なにを言っているのか分からない

近年、キュレーションというのが、流行だ。なんだか、ジャーナリスティックな記事を、収集し、まとめ、キュレーターの味付けによって、 紹介 するということのようだ。 しかし、私は、このキュレーターの他に、ネット上に、「もう一つ」の役割が必要なんじゃ…

なぜ日本には原子力倫理委員会がないのか?

今日のニュースステーションで、ドイツの脱原発が特集されていたが、その内容がどうのこうの以前に、なぜ日本は 原子力倫理委員会 を作らないのか、というか、なぜ有識者たちは、ドイツにある原子力倫理委員会に相当するものが日本に なければならない と言…

新しい戦争の形態

中国の公安警察が、市民のケータイにメールを送ったって、個人情報は全て、管理されているってことなんですかね。まあ、北京がそうだった、ということのようなのだが。 今の、中国の光景を見ていると、「犯罪」というのは、警察が逮捕するから、犯罪なんだな…

笠井奈津子『甘い物は脳に悪い』

私はときどき、食事というのは、本当に「商品」なのか、と疑問に思うことがある。 それは、ようするに「嗜好品」というものが、必ずしも、「体によくない」という事実を考えるとき、考えさせられる。 食糧というのは、本当に、「資本主義的な対象」なのか。 …

中国革命

千隻だか一万隻の漁船が、尖閣諸島に来るそうだが、中国政府もその漁船を守る、とか言っているそうだ。 尖閣諸島に対する中国政府側のメッセージが「愛国無罪」なら、なにをやってもいい、と中国国民が受け取ったことで、中国各地のデモは、過激さを増してい…

関沼博『「フクシマ」論』

(まだ読んでいる途中ですが、いったん、考えてみたい。) 原発の問題は、その「近さ」によって、見える世界が変わってくる。その近いか遠いかは、決定的にクリティカルである。 言わば、原発とは、その「近さ」における、「チキンレース」なのだ。どこまで…

原発を抱きしめて

とうとう、日本国家が、少なくとも30年代まででの、原発ゼロを、政策目標に掲げたことは、3・11以降、原発問題を、このブログでも考えてきた身としては、たとえ、その中身が、青森の再処理工場の「継続」であったり、原発の輸出は継続だったり、建設中…

調麻佐志「100mSV未満の被ばくが健康に与える影響を評価する」

(話題の論文を、私なりに、読んでみたレベルです...。) 3・11以降の、この原発問題の議論は、なにがなんでも、原発をこの日本で動かし続けたいと思っている人たちの、最後の「あがき」であったと言えるのではないだろうか。 つまり、なぜ、そこまでして…

小熊英二『社会を変えるには』

3・11以降、掲題の本のように、もう一度、「全体」として、社会を通時的に捉え直すような、議論が増えているように思われる。 私たち「人類」は、有史以来、悩み考え、試行錯誤して生きてきた。現在「こう」あるのは、その結果にすぎない。それ以上でも、…

「TARI TARI」だったり

小熊さんの『社会を変えるには』は、非常に大衆運動に「肯定的」なことが、特徴じゃないか、というふうに読んだ。 しかし、逆に言うと、なぜ、そこまで、人々の政治参加や、大衆運動やデモを、「無条件」に肯定できるのかは、少しも自明ではないように思える…

コモディティなスマホ

この前、スマホがのUSBの差し込み口が壊れて、修理を依頼に、ケータイショップに行ってきた。そこで、あらためて思ったのは、このスマホの 家電化 であろう。というのは、スマホの代替機があったので、貸してくれたのだが、その場合の、自環境を移動する…

「悪」の経済学

原発推進派と反原発派の議論がなぜ、かみあわないのかと考えたとき、そもそも 「ごみ」の経済学 の考え方が違っているんじゃないか、という印象を受ける。 そもそも、経済学において「ごみ」の問題は「なぜか」顕在化してこない。「ごみ」とはなにか。「ごみ…